2015年5月14日木曜日

ひろさんの「喩え」ばなしを使うべき場面

ふと、我が子に「仏法」に基づく倫理観(正確には宗教観・人生観)を伝えるには、ひろさちや氏の様々繰り返される「喩え」ばなしを借りるのが実は一番伝わるかもしれない、とふと思った。
自分のような大人では、流石に何度も聞かされてもどうかなあ、と思っていたが、日頃から子どもに価値観を伝えることができないもどかしさから、ひらめいた。

使えそうなテーマ(たとえ話)としては、次のようなものがある。
忘れぬよう列記しておこう。

・「美味しいものを食べる」ことと、「美味しくものを食べる」ことの違い

・コップの水を「もう半分しか残っていない」と考えるか、「あと半分残っている」と考えられるか

・ひとつの食べ物を兄妹でわけるとき、大きな方をあげるか、小さな方をあげるか

・80点を取った子どもに平均点を聞いて、褒美を変えてしまう母親

・なぜ今勉強しなければならない(遊べない)? という子どもの問いに答えられない(先延ばしの答えしかできない)親

・子どもの年齢と親の年齢は一緒

・ひきこもりの悩みに対しては、「とりあえずもっと引きこもってみたら?」

・急須の茶殻が流しに捨てられたとたんに汚くなるのは「差別の心」がなせるわざ。






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