2015年5月14日木曜日

ごう慢を戒める

自分の仏法の師は複数いるが、誰でもよいわけでは全くない。
それは、内山興正老師であり、青山俊董禅師であり、荒崎良徳老師であり、ひろさちやさんであり、遠藤誠辯護士であるが、久しぶりに新たに仏法の師に巡り会えた。酒井大岳老師である。もうここまでくると、どう見ても曹洞宗に偏っていることから、自分は道元禅師の流れに組み込まれていることは明かである。
ともかく、酒井大岳老師の説法はどうしても涙を誘われるような人間味に満ちたものであり、しばらくその言葉をかみしめたいと思う。

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「ごう慢な人間、という言葉がよく使われます。人間が一番偉い、という思いあがりから、他の生命を「奪う」のがごう慢なのです。奪いなれてくると、奪っているというその事実にさえ気づきません。至極当然のことのように繰り返していくだけです。これはおそろしいことです。「いただく」という謙虚さがないからです。じつは、私たちはありとあらゆる生きもののいのちを頂戴して生きています。今日という一日を生きるにしても、多くの生きものたちのまたとない命の犠牲によって生きています。それを「あたりまえ」と思って生きる生き方と、「申し訳ない」と思って生きる生き方とでは、天と地がひっくり返るほどの違いがあります。」

金子みすゞの詩と仏教/酒井大岳/大法輪閣

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