2015年5月14日木曜日

人間は不完全な存在

以下、ひろさちや氏の主張の意訳である。

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基督教も仏教も、「人間は不完全で間違いだらけな存在である」ことが前提になっている。そして完璧な存在として神・仏がいる。だから人間はさまよえる子羊であり、凡夫なのである。

裏を返せば、「人間は不完全でも仕方がない」のである。大切なのは、これを自分だけでなくすべての人間に当てはめる作業である。

無宗教な人間(=日本人の大部分)は、自分の間違いは仕方ないとしても他人の過失に対しては厳しく糾弾する。これが無宗教者の典型的発想。世の中が幸せに治まる筈はない。

宗教者は「人間だからこそ間違う」と考えるから、他人の間違いを「人間だから」ということで許せる。それが宗教者である。

自分も他人も不完全で弱い存在である、それが分かったとき、人間の心を取り戻したといえる。心から地獄が消える。



・・・とこう結論を出すと、「人間だもの」と墨書きした某氏の意図はここにあり、とわかる。
そう、彼の文言は仏法を学ぶと、オリジナルなものはほとんどなく、仏法の要素をその都度抜き出しているものだけで構成されていることが分かってくる。
私も以前は彼の意図は完全に誤解していた(文脈なく紋切りだから誤解されて当然。仏法選集だったのである)。
彼はとても素直な「妙好人」の一人であったのだ。

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