2015年5月14日木曜日

ナイトスタンド仏教徒

面白くもしゃれてもいない名称だが、6/14朝日夕刊で花園大の教授が書いた文章にある仏教徒は、紛れもない自分の姿であった。
アメリカには、こういった仏教徒を自認する人間が何と250万人もいるという。
-------------------------------------------------
日本のように、家が代々仏教だから、法事・葬式の時だけ、なんとなくお寺さんの世話になる、といった人たちではない。自分で悩んで考えて、「仏教がいい」と判断し、実際に仏教世界へ入ってきた、本当の仏教徒である。
-------------------------------------------------
まさに自分。我が家はとくに家が代々、というしがらみがないが故にこれに近い環境だ。私はこの太字のとおりだから、「本当の仏教徒」なのだろう。

--------------------------------------------------
この仏教徒たちは、「なになに宗」といった特定の宗派、教団に属しているのではない。そういった生臭い人間組織に嫌気がさしたからこそ、仏教を選んだ人たちである。
---------------------------------------------------
あまりにそのとおりなので言うことはない。
自分そのままである。
アメリカでしかその形態は存在しないのか。
少なくとも、どこの寺ともつながりがなく、受戒の儀式を踏んでもいない私は仏教徒とは日本では言わないのかも知れないが、ほとんどの日本人は死んで戒名をもらっているようなところで、そんなものは仏教徒でも何でもないので、自称仏教徒である以上に何が必要だろう。
少なくとも葬式仏教に何の疑問も持たず、またそれが仏教と思いこんで仏法の欠片も学んだことのない(というか参究しようとしたことのない)凡百の日本人よりは自分はよほど「仏教徒」であることは間違いない。
まあ、他人との相対性は何にも意味がないので、とにかくどこまで自覚して、どこまで生活に仏法を落としていくか、それに尽きる。

アメリカのナイトスタンド仏教徒は、多くはチベット仏教をはじめとする、小乗仏教の発想であるらしいが、私は「大乗仏教」が熟成された日本にいるのだから、大乗仏教の素晴らしさを念頭において生活に落としたい。
いくら今の仏事や行事の仏法が本筋から離れていても、その元となるところには必ず仏法があったのだ。せっかく日本にいるのだからそれを学ばない手はない。





0 件のコメント:

コメントを投稿