2015年5月14日木曜日

日めくり法話14 布施

「布施は、自分に必要なものをただ喜んで捨てればいいわけで、捨てたものを相手がどうしようと絶対に干渉してはいけません。相手がちゃんと利用しようが、どこかに捨ててしまおうが、それは相手の問題だから放っておく。これが「無漏の業」です。煩悩の関与する余地がないわけです。ですから、この「無漏の業」は至難の業です。相手のことを考え、相手の立場に立って一生懸命やったという思いがこちらにあると、思うように相手が対応してこないとき、どうしても腹立たしくなります。相手の立場に立ったはずが、この土は自分の腹が立ってくる。布施をするときは、よいことをやっているんだとか、相手を救ってやるんだ、とかいう意識があると救えません。その辺が、大変難しいわけです。仏教者は、みな、この「無漏の業」を積み重ねていかなくてはなりません。しかし、わたしたちはややもすると、仏教を世間のために役立てたいなどと、つい、そんなことばかり考えてしまいます。仏教に従って生きていこう、とここまではいいのですが、しかし、世の中をよくするために、この仏教を使わないといけない、というように考えてしまいますと、もう、これは大間違いなのですね。世の中に仏教を役立てようなどと考えると、世の中のほうが大事になります。仏教の教えに反することまで、世の中を救うためにはしょうがない、目をつぶろうという態度になってしまいます。そうではなくて、仏教者にとっては、この世界がどうなろうと知ったことではないのです。そうしたことには一切関知しない、こんな世界、滅びるものなら滅びればいい、というのが佛教の考え方です。」(ひろさちや)

禅の智慧 正法眼蔵随聞記に学ぶ/ひろさちや・青山俊董/すずき出版

0 件のコメント:

コメントを投稿