2015年5月14日木曜日

【修証義・懺悔滅罪】

修証義第二章の懺悔滅罪は、自力信仰にしがみつく者や科学信奉者である限りでは、絶対に達することができない境地、「偉大なるもの」に対する懺悔の心を起こすという宗教信仰の根本的な入口ともいえる心を説きます。
この内容に反撥しているうちは、信心をもつことはあり得ないといっても過言ではありません。

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修証義・懺悔滅罪

仏祖憐みの余り広大の慈門を開きおけり。
是れ一切衆生を証入せしめんが為なり。

人天誰か入らざらん、彼の三時の悪業報必ず感ずべしと雖も、
懺悔するが如きは重きを転じて軽受せしむ、
又滅罪清浄ならしむるなり。

然あれば誠心を専らにして前仏に懺悔すべし。
恁麼するとき前佛懺悔の功徳力
我を拯いて清浄ならしむ。
此功徳能く無礙の浄信精進を生長せしむるなり。
浄信一現するとき、自佗同じく転ぜらるるなり。
其利益普く情非情に蒙ぶらしむ。

其大旨は、願わくは我れ設い過去の悪業多く重なりて障道の因縁ありとも、
仏道に因りて得道せりし諸仏諸祖我れを愍みて業累を解脱せしめ、
学道障り無からしめ、其功徳法門普く無尽法界に充満弥綸せらん。

哀れみを我に分布すべし。
仏祖の往昔は吾等なり、吾等が当来は仏祖ならん。

我昔所造諸悪業 皆由無始貧瞋癡
従身口意之所生 一切我今皆懺悔
是の如く懺悔すれば必ず仏祖の冥助あるなり。

心念身儀発露白仏すべし。
発露の力罪根をして銷殞(しょういん)せしむるなり。


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懺悔することによって過去の悪業から解脱できるという前向きの話ですが、修証義前5章の中でもこの第2章が特に短く、存在感としても薄いとされる(「修証義を読む」/荒崎良徳)そうです。
しかし、ともすれば自分は正しいと思いがち(そう信じることでこの世の不安を払拭しようとするのでしょうが)なところ「増上慢」を戒め、謙虚たらんとさせてくれる重要な章です。
「功徳」「利益」という言葉が繰り返し出てくるところが、暗記における関門となりました。


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