2015年5月14日木曜日

至福感

何だろうか。

子どもたちとの楽しい一日を終えて、娘は食後早くに眠りにつき、息子と楽しく会話をして、布団の隣でいつものように彼が寝付くのを見て起きようかと思いながら自分が先に眠ってしまう。

夢は常に荒唐無稽だが、いくつかその強烈なシチュエーションが頭に残像として残ったまま、1時前に目が覚めた。といっても既に4時間眠ったわけだ。

その時、自分には「死は怖くない」という類いの不思議な至福感だけがあった。
こんな感覚は初めてに近い。

イメージは、こうである。
ひとつめ。自分が何かしらの大惨事を巻き起こした張本人であり、家族からどんな報復を受けても致し方ない、という状況(全く幸せなことなどない筈の場面であると思うが・・・)。
ふたつめ。誰か信用のおける人(弟であるようで微妙に違うようでもあった)と2人でドライブをしている。どこかから家に戻る長旅のようだ。やけにその走りと家に戻る期待に幸せ感がある。
みっつめ。その車の中ではドイツ・オーストリアポップスが流れていて、自分もそれにあわせて朗々と歌っている。しかしその曲は実際に知っている曲ではない。目覚めたときにモロにその曲が頭に残っていたから間違いない。自分の頭の中で生成された曲なのである。

この一貫しない世界から目覚めた自分の至福感が何とも人生を超越したものであったのだ。

それぞれが何か自分の深層心理を表していることは確実で、どこか興奮冷めやらぬ気持ちと何も恐れることはない、といった類いの開き直りの安心感のようなものが全身を覆っている。

本当に自分という存在は、親に迷惑をかけ、妻に迷惑をかけ、会社で一緒する人々に迷惑をかけ続けているだけの存在である。
普段、そう思うことはほとんどないが、今は何だか強烈にそう感じる。
何をなすでもなく、結局は自分の狭い殻の中で小さな宇宙を構築していくことだけに幸せを感じている、人類悠久の歴史からすると、本当に役に立たない存在の最たるものであると痛感すると同時に、諦め(明きらめ)とそれでいいじゃないかという感覚がある。

だが、2人の素晴らしい子どもたちがしあわせに生きていることを目にすると、自分の存在は、彼らに命をつなぐ、彼らが幸せを噛みしめることにあったのだと、人生の結論のようなものにハッとするのである。
この彼らの幸せから感じることは、社会倫理というフィルターを通しての善行であるという次元のものとは全く違う感じがする。

人生の意味、それは自分が次の世代にきちんとバトンタッチできたかどうか、それだけのような気がする。
そして、それについては9割方自分は成功したような気がするのだ。


上は6歳、下は3歳。
三つ子の魂百まで。
これは恐るべき格言であり、究極の宗教性を持った格言であると思う。子どもをもつまでその意味するところの1%も理解不能であった格言。
3歳までこの世の不安と恐怖からいかに守って、目の前のものに目を輝かせて安定した日々を送ることができるかは、養育者の一手にかかっている。これを全うしてない親が五万と溢れているのが現代であり、その前の時代もきっとそうだった。この時点で人間失格であると思う。
親である必要はないが、次世代に繋ぐことを放棄した生き方は、他がどう優れていても、失敗の人生という結論しかないとさえ思う。

自分は2人にはその点について、完遂した、と今ようやく断言できる気分である。なぜか今日、今、目覚めたときにそれを感じた。

6歳は記憶がとてもしっかりと残る年、というのが自分に置き換えた場合。
その彼が、誰にも増して父である自分を信じてくれている。
不完全で欠点だらけなのに、彼はそれを寛容に容認して評価してくれている。ひとえに懸命に育てて寄り添ってきた七年間が評価をしてくれたような気持ちだ。
妻は親は、当然私の欠点になかば呆れながらも、悪い人間ではないという結論から暖かく今もつきあってくれているとても貴重な存在の人々。
彼らの人間の質は、明らかに自分よりも高いと思う。
そんな自分が唯一成し遂げたのが、2人の縁あって自分の元に子どもとして生を受けた可愛い男女が、人生の最も大切な時期、人生観のすべてを形成する極めて根本的な時期に、幸せ一杯に人生を謳歌することの手伝いができたこと、なのであると思うと、近からず遠からず私の人生にピリオドを打つ日が来ても、悔いはないと言えるのだ。

あらためて、今、自分は宗教的な思考に立ち返って日々を暮らすことにのみ、安心立命が達成されるのだということの結論に達した。

記念すべき瞬間である。

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