この「歎仏偈」と呼ばれる一節は、『勝鬘経(しょうまんぎょう)』という経文の如来真実義功徳章からとったものです。如来を讃え、それへの帰依を誓うという内容です。
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如来妙色身 世間無與等
無比不思議 是故今敬礼
如来色無尽 知恵亦復然
一切法常住 是故我帰依
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これも浄土宗CDからのヒヤリングでしたが、メジャーな経文をほとんど終えてきただけに、経文の意味や由来等の資料を探すのが段々と難しくなってきました。この「勝鬘経」からの一節といわれる歎仏偈も、浄土宗以外では果してどの宗派で読誦する可能性があるのかは、最後まで分からずじまいでした。仏を讃えて、帰依を誓うという流れには違いありません。(2006/09/17)
2006年9月17日日曜日
2006年9月11日月曜日
【円頓章】
天台宗が説く教えの究極と言われる「摩訶止観」をこの短い経文の中に織り込んだ、般若心経的な濃密さと深遠さを感じるのが、この円頓章です。
円頓(えんどん)とは、円満頓足の略で、『現身に持っている心に、すべての功徳を円満にかたよらず、欠けることなく具えているとさとって、たちどころに成仏する』ことをいうそうです(「一隅を照らす運動」ホームページより)。
なお、基本は天台宗宗祖の天台大師の「摩訶止観」の要旨ですが、最後の六句は中国天台宗六祖の荊溪大師湛然が『摩訶止観輔行伝弘決』において天台大師説の一念三千を解説したものです。
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円頓者。
初縁実相。造境即中。無不真実。繋縁法界。一念法界。一色一香。
無非中道。己界及仏界。衆生界亦然。陰入皆如。
無苦可捨。無明塵労。即是菩提。
無集可断。辺邪皆中正。
無道可修。生死即涅槃。
無滅可証。
無苦無集。故無世間。無道無滅。故無出世間。
純一実相。実相外。更無別法。
法性寂然名止。寂而常照名観。雖言初後。無二無別。
是名円頓止観。
当知身土 一念三千 故成道時 称此本理 一身一念 遍於法界
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摩訶止観です。色々読んでも、よくわからない、しかし究極と言われる摩訶止観です。これや「唯識」といったものが奈良・平安仏教のわかりにくさの象徴です。翻訳にも今だ出会えず、とりあえずの丸暗記となりました。よって、そんなに長さがないのに、非常に記憶するのに時間がかかりました。ウェブログにも書いたように、最近の自分の中の仏法スランプに重なっていることもあり、聞いても聞いても覚えられないというかなり辛い「学び」を経験しました。(2006/09/11)
円頓(えんどん)とは、円満頓足の略で、『現身に持っている心に、すべての功徳を円満にかたよらず、欠けることなく具えているとさとって、たちどころに成仏する』ことをいうそうです(「一隅を照らす運動」ホームページより)。
なお、基本は天台宗宗祖の天台大師の「摩訶止観」の要旨ですが、最後の六句は中国天台宗六祖の荊溪大師湛然が『摩訶止観輔行伝弘決』において天台大師説の一念三千を解説したものです。
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円頓者。
初縁実相。造境即中。無不真実。繋縁法界。一念法界。一色一香。
無非中道。己界及仏界。衆生界亦然。陰入皆如。
無苦可捨。無明塵労。即是菩提。
無集可断。辺邪皆中正。
無道可修。生死即涅槃。
無滅可証。
無苦無集。故無世間。無道無滅。故無出世間。
純一実相。実相外。更無別法。
法性寂然名止。寂而常照名観。雖言初後。無二無別。
是名円頓止観。
当知身土 一念三千 故成道時 称此本理 一身一念 遍於法界
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摩訶止観です。色々読んでも、よくわからない、しかし究極と言われる摩訶止観です。これや「唯識」といったものが奈良・平安仏教のわかりにくさの象徴です。翻訳にも今だ出会えず、とりあえずの丸暗記となりました。よって、そんなに長さがないのに、非常に記憶するのに時間がかかりました。ウェブログにも書いたように、最近の自分の中の仏法スランプに重なっていることもあり、聞いても聞いても覚えられないというかなり辛い「学び」を経験しました。(2006/09/11)
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