2005年11月8日火曜日

「仏音」最後の名僧10人が語る生きる喜び/高瀬広居 ~共感した名文・名文句~

自ら私塾「疎石会」を開き、伝導を行う仏道者高瀬広居氏が、昭和時代に老境に達した明治から時代を駆け抜けてきた名僧たちにインタビューし仏道を問うてきた、貴重な書。サイマル出版から表題で出版され、後に朝日新聞社はじめ文庫本としても「仏音」と銘打ってロングセラーとなった本です。

この本が他と決定的に違うのは、本を書くこととは無縁の超絶した人生を歩んだ本当の仏道者を拾い上げて、その言葉を訪ねていることです。自ら本を書くことは仏教者の条件では全くないため、こういうところに本物がいるのだ、と唸らされます。
宗派は皆違えど、とにかく半端ではない生き様は、その言葉がどれも究極が故に凄まじい迫力と緊張感を伝えてきます。




  • 高瀬広居(私塾「疎石会」主催)
    前書き及び合間の鋭い洞察。宗派を超えた「作家」や「大学教授」として世間に知られるのではない、本物の僧をよくぞ探して記録したと思います。
  • 知識人の代表者司馬遼太郎氏の言葉から「『今の日本の事態が、太平洋戦争に負けた事態よりも、もっと深刻な道徳的、倫理的試練にたたされているということに国民は気づいていない。ここまで闇の世界を作ってしまったら、日本列島という地面の上で国民は暮らしていくだろうが、堅牢な社会を築くことは難しいだろう』
    これは平成8年に急逝された作家司馬遼太郎氏が、亡くなる直前に行われた週刊誌の対談で述べた言葉である。」
  • 戦後の復興の後に残されたもの
    「だが、悲しいことに、その芯部では、人間にとってもっとも大切な利他心や羞恥の心、自責の念や繊細な精神の「炉心」は溶け、名利、打算、エゴイズムが砂漠のような欲望を駆り立てて、人間らしさを引き裂いてきたのだった。豊かになっただけ、それに比例して日本人は精神的空洞化を抱え込まなくてはならなかったのである。(略)
    いじめによる自殺は、戦後の人権と生命尊重の教育がいかに空しい、虚構に満ちたタテマエだけのものであったかを示していたし、マスメディアの無規律、無軌道は「真実の追究と伝達」などとはおよそ程遠い、単なる悦楽のみの機能にすぎないことも物語っていた。(略)
    あるものは氷のように冷たい恥知らずの打算だけである。これは明らかに、戦後日本人が謳歌してきた
    知的合理主義の惨敗であり、知力偏重の思想的破産といっても良いだろう。」
  • この本は本当に珍しい希少価値の本であると思ったのはこの点であります
    「本書は「仏知の宝庫」であり、般若の智慧に満ちている。私はそれを忠実に祖述したにすぎない。私の知る限り、今日このような書は珍しい。いま日本には、自らの血の滲むような求道生活を通して、求法を語る僧はほとんどいない。」
  • 寺の跡継ぎは単なる寺守でしかない。三宝の「僧」では全くなくなってしまっています・・
    「だいたい寺の跡継ぎでだらだらと住職になった人にはろくな坊さんはいない。第一に、なぜ出家の道を選んだか、という内的動機が欠けており、職業として自動的に年回法要儀礼の寺守としておさまっているにすぎない。第二に、迷える人、苦悩する多くの人々に仏法を説かない。説く力もない。」
  • 密教とは初詣でに栄える成田山や川崎大師を指すものではない
    「真言密教はとかく現世利益としてのみ求められることが多い。護摩札を好む日本人の習性もその一つだし、元日に成田山や川崎大師に数百万人もの人々が詣でるのはそのためであろう。しかし、密教とはそんな底の浅いものではない。山本(秀順)氏の説く人間と自然の一体性、一匹の虫にも積極的に生命を見いだしていこうとする利他心、愛他心、それこそが弘法大師の教えなのである。」

  • 【内山興正(曹洞宗・京都宇治能化院)
    早稲田大学西洋哲学科卒、二人の妻を亡くし、その後「宿無し」昭和の徹底的修行の禅僧澤木興道禅師の元40年間修行。
    その後も極貧のもと坐禅に浸る。
    著書は多い。堕落とは無縁の折り紙達人僧。1998年、86歳で遷化
  • 曹洞宗という権威の元でもこのような僧がいることが救いでしょう「この寺は曹洞宗永平寺派に関係のある寺ですけれども、実際には何も関わり合いはない。寺のつきあいも全くゼロ。要するに寺院付き合いっていうのは、早い話が、お葬式の同業組合でしょう。ここは檀家が一軒もない。葬式に関係のない寺ですからな。それに私は世間のことを何も知りません。知る必要もない。坊さん達が何をし、何を考えているか、宗門や宗派がどんなことをしているか知らないし、関心もない。ここにはテレビもラジオも電話もありません。(略)
    坊主の履歴も、
    ただ、澤木興道禅師について禅を学んだだけで、ほかに何もありません。」
  • 文明文化が人間の生活を高めたか、否。「私たちは日々、人類文化の恩恵をうけ、限りない発明、文明、文化の恩恵に浴している。しかし、それによって私たち自身が高められ、尊いものになったか。自分の真実にやすらうことができるようになったか、どうか。そうはいえまい。石のヤジリで戦う代わりに、原水爆やミサイルで大量殺戮できるようになっただけだ。洞穴に住む原始人類がそのまま高層ビルに住み、便利さに浸っているだけではありませんか。」
  • 企業で馬車馬のように働く人生はまさにこのとおりであります「しかし、どうせおだてられて一生懸命働いて、業つくばって、やつらは最後、紙屑のように捨てられる。そんなときね、私はつくづく企業体ってえのはバカなやつらだと思うんだが、早い話が、日本人ってえのは、犬みたいな性格を持っていて、企業に忠誠を誓う。そして捨てられる。使う奴も働く奴も自己が全くわからんのだな。この狂気、正気を失った人間に、正気を取り戻させるのが仏教なのです。」
  • お経を学ぶことの意味について「お経は、私にいわすれば説明書です。効能書ですよ。そう思ってみればよい。(略)
    要するに
    経を読むということは、自己を学ぶこと、生きる態度につきるのですよ。」
  • 親が子どもを育てる意味、人生を教える意味「子どもというのは、親の生き方、人生観の審判者であるとね。もし親の生き方が少しでも歪んでいると、子どもは大きくなってから、必ずそのひずみを指摘し、審判する。(略)
    いったいどう育てるのか。大学に出すために、と答える親がいる。これは白痴的回答です。
    大切なのは生きる態度だ。金が大切という態度を教えれば、子どもは親よりも金を選ぶ。立身出世を示せば、そのことのみに懸命になって人を傷つける。そうではなくて、本当の自分の生命を自覚し、その生命を発現しようとする態度を教えなきゃならん。」
  • 【葉上照澄(天台宗・比叡山延暦寺)
    東京大学哲学科卒、ドイツ語教授として大正大学教授や新聞論説委員を歴任してから、43歳で比叡山入り、44歳から7年かけて回峰行を達成。歴代39人目。年齢は最高齢レベルの大行満であり、全国に異常なまでの衝撃を与えた。1989年、86歳で遷化。
  • 下座のこころ「法華経の第七巻、第二十品にな、「常不軽菩薩品」というお経がある。回峰行の創始者相応和尚も、この菩薩に深く帰依していた。(略)
    仏になるためには、この「下座」を欠いてはならないということです。下座とはあらゆる人間を尊重する、人間礼拝や。(略)
    この自覚は人間自身を謙虚にする。人間を礼拝する心を植え付ける。菩薩はそれを実行した。(略)
    下座のこころとは、なにものにも代え難い積極的人生を生む。傲り高ぶった人間にはそれがない。
    宗教心とは下座心や。宗教とは何ぞやというて議論するインテリには、この心がいつまでたってもわからん。なんぼ知識をひけらかしたって、この心がなくては人間は幸せになれん。私は「もし自分の子どもや下のものに手を合わせてもらいたかったら、黙ってあなた自身が手を合わせなさい」という。手を合わせる心が仏心です。」
  • 一番だめなもの「一番いかんのは、大学教授とジャーナリズム。青年をアホにかりたてとる。もっと大人にならにゃいかんね。世の中の移り変わりの現象面のみとらえて、それを新しい社会像であるかのようにみせつけ、いかにも大衆をキャッチしとるようにいうが、ちっとも人間がみえとらん。それを思うと、私はじいっとしとれん気持ちに駆り立てられるわ。山にいると人間がようみえてくるだけに、苛立ちも強くなる。」
  • 【中川宋淵(臨済宗・静岡三島竜沢寺)
    東京大学インド哲学科卒、飯田蛇笏門下で詩を学んだのち、昭和新憲法の天皇象徴論を作った山本玄峰禅師の元でその後を継ぐ。臨済禅(公案禅)を地でいく海外布教に力を注いだ禅僧。1984年、77歳で遷化。
  • 南無阿弥陀仏は「ハレルヤ!」くらいの明るさを備えた言葉です「南無阿弥陀仏とは、無量寿、無量光の如来の命に帰依することです。計り知れない生命、無量寿ですよ。こんなめでたいことはない。だから、お念仏はめでたい。ところが、結婚式場で南無阿弥陀仏というと嫌われる。」
  • 性の自由について、名僧の回答「フリー・セックス? それで本当に楽しければよい。が、私にはそうは思わない。今日の性は濁っているだけだ。人間にとって欲は大事な力だ。食欲はものを食べる力、性欲は子を産む力、大切です。けれども欲にとらわれてはいけない。性の自由を叫ぶことは、セックスにとらわれてるんじゃね。性欲は他の様々な欲、力の一つの部分にすぎん。チンポコをあたまのうえにのせるようなことばかりしてたらいかん。チンポコは在るべきところにあって使われればよいのだ。」


  • 【塚本善隆(浄土宗・京都嵯峨釈迦堂清涼寺)
    京都大学東洋史学科卒、仏教研究のために6回中国へ渡航。母はインテリだったが無学の祖母の影響で浄土宗に帰依。京都大学名誉教授だが、ぼろ寺に住む。1980年、82歳で遷化。
  • 末法とはハルマゲドンとは全く違います「人間的自覚そのもののうちに末法はある。まえはよくて今は悪い、といった時間的、年代誌的な歴史観で末法をとらえるものではありません。だから、法然上人がいわなくとも、親鸞上人がおっしゃらなくとも、自己の生きる社会と生活に悪と罪とを見いだすならば、それが末法であり、その覚醒が在れば理想を求める心も生じてくる。末法、五濁悪世とは救われざる自己、そのことです。ここにたてば、ユートピアをめざす意欲、宗教的な理想追求の力がわいてくる。それがないということは、本当の終末や末法の自覚はないのだといってもよいでしょう。それが今の日本の現状です。夢のない空ろな「末法遊び」。経済成長に悦楽し、不況になって懊悩する、その変わりゆく妄執の自己を見ずに、終末も末法もありえないのです。(略)日本人にはそうした宗教的教養が残念ながら非常に薄い。」
  • 仏教は全く暗いものではない。暗さは江戸の悪政策の産物「葬式仏教」のイメージでしかない「祖母は無学です。だが、みんなのおかげと、人の仏性を拝む心を持ち、そこに人生の明るさを持っていた。仏教が日本に入ってきたとき、それはそれは明るいものでした。奈良の古寺を見てご覧なさい。朱に塗った舞台や柱があり、中央アジアの雅楽が演奏され、舞踊が繰り広げられた。死者に経を読むことなど在りません。暗いところに勇気はわきません。明るいから理想にもえるのです。信仰は明るく人生を過ごす原動力でなくては全く意味がない。」
  • 最悪は近代以降の宗教を抹消してきた日本の制度「母を見てわかるように、明治社会の近代化が大きな過ち、とりかえしのつかぬ失態をおかしたことです。それは宗教と教育を分離しなければならぬという近代法治国家の原則を表面だけ取り入れてしまったことです。ヨーロッパには日曜日に教会に行くという習慣が何百年も続いていた。日本にはそれがない。にもかかわらず、教育から一切宗教を排除した。これが致命的打撃です。」
  • 浄土宗僧侶への批判と原点回帰「法然上人は釈尊の教えに立っている。浄土宗の坊さん達はそれを忘れている。十万億土だ極楽浄土だと、それだけ確信すればいいなどといっているが、そんなことできるのはまれなことです。釈尊も現実の人間を肯定し、事実を事実として認めるところから出発されているし、法然上人も現実の人間社会を全体的に肯定し、酒を飲みたければ飲め、世の習いだ、目が覚めたら念仏せよ、と無理を強いておられない。釈尊も中道なら、上人も中道です。それが慈悲でしょう。しかも、お二人とも人間を離れて宗教を語っておられません。」

  • 【久保田正文(日蓮宗・東京仙寿院)
    東京大学文学部卒、大正時代に日蓮宗管長命令で英国留学、その後は学僧の道を突き進み法華経研究を究める。著書多数。1986年、90歳で遷化。
  • 日本人の無宗教の恥さらし「アメリカの宗教学者がよく私にいいます。日本の外交官はどうして無宗教であることを誇らしげに語るのだろうか。アメリカでは無宗教であることを決して尊敬しない。なぜなら、宗教心をもたぬ人間は、相手の心が分からぬからだ。」
  • 東大卒は増上慢の人間だらけ「政官界の人には東大卒が多い。(略)
    世間というもの、一般人というものを低く見て、自分だけが選ばれた人間だというエリート意識、増上慢に満ちています。見下した選民意識、これが日本の指導的人間を教育する基本理念だったのですね。だから
    東大コースの出身者にとって、宗教に救いを求めるような民衆は、愚劣、低劣な自分たちがみちびかねばならぬ穢れの人間に映るわけです。この人間蔑視がわが国のリーダーの無宗教を育てたのでしょう。」
  • 「折伏」はどこかの新興宗教の洗脳や強引な勧誘とは全く違います「よく折伏行といいますね。これは改宗、改心を要求することではなく、苦悩に停滞している人々に、まことの救いの道がここにあるのですよ、ともに成仏し、無上等覚の世界に入ろうではありませんかと、肩を叩き、進める行なのです。(略)
    けっして物理的な強圧でも、無理に引き込むことでもない。自分もあなたもそれぞれの苦しみに於いて救われるのだという、その発心を持つことなのです。」
  • 現世安穏とは「現世安穏とは、世の中の苦がなくなるということではない。他からは苦しいように見えても、正しい信仰のある人の心の境地は安穏であり、後の生活もまたやすらかであるということです。(略)
    苦は相対的であるとともに、なかなか人間の浅い智慧ではのぞき知ることができない。いいかえれば、人知を越えた知、仏智というか宗教的叡智を得なくては、現世安穏の真の意味も把握できないし、他人の苦しみも分からぬ。分からなければ、その苦が救いとなりうる相対性を教えた宗教、仏教に帰依し、苦楽一如、外と内の一体性、仏心不二に目覚めねばならない。」
  • 自力・他力、難行・易行を相対的二元的にとらえることは仏道の考え方に反します「一般にそれを自力の法と他力の法とにわけ、法然上人や親鸞聖人は他力、唯識や禅は自力という。しかし、これは違います。自力が難行、他力が易行というのも間違っています。自力で解決できるなら、これは宗教ではなく自然科学です。他力万能なら、懺悔も苦の自覚も不必要です。」
  • 宗教音痴とはこういうことをいう「おそらく宗教を理念や感傷、あるいは文学的感性で捉えている知識人は日本人くらいのものでしょうね。それは、自己無力への自覚、一念三千の自覚がないためです。人間は神にも仏にもなり、同時に地獄、餓鬼、畜生にも墜ちる可能性を持っている。そのいずれを選び取るかという覚悟、しかも、向上して仏になることがいかに困難か、命がけだぞという決心、それが欠けているんでしょう。
  • 日蓮批判に対して・・・「一般に日蓮上人は、その行動の激しさの面からのみうけとられているきらいがありますけれども、聖人が自らを法師と自覚された慈悲の温かい面、いわば利他行の尊さを私たちは見落としてはならないと思います。聖人はけっして自分の主張、我見によって他宗を批判したり、折伏の実践をされた方ではありません。中道間を持った仏とならしめるための法の実践、相手の人を本当に救おうとした情熱、法華経による仏の本位の伝達、それを願ったのです。(略)
    注意しなくてはならないのは、
    近代に於いて、法華経と日蓮聖人の立正安国思想が過激な社会変革の思想、国家革命のイデオロギーとして偏ってうけとられていったことです。しかし、聖人のいう安国の国とは国家を指すのではない。もっとひろい国土です。主権、領土、国民をもった国家という狭い概念でうけとってはなりません。」

  • 【山本秀順(真言宗・高尾山薬王院)
    真言宗智山派智山専門学校卒。学生時代にマルクス主義に傾倒し、満州事変から第二次大戦終戦まで戦争を肯定してきた仏教界に真向から反撥して反戦を唱えた妹尾義郎の「新興仏教運動」に参加。400日の牢獄生活を過ごす。1996年、84歳で遷化。
  • 昆虫採集という教育について「私もしばらくは黙って見過ごしていた。昆虫を欲しがる童心を傷つけたくないと思ったからです。ところが、教師達は、ただ昆虫を捕らえて殺し、標本にすることのみしか教えていないことを知った。知識欲の満足のためにのみ虫を傷つけ殺す。子供らは、何一つ自然を鑑賞することもなく、採集の数の多さのみ競い合っている。私は先生方に注意した。そんなものは人間教育ではない。蝶やトンボの生態を観察するなら、なぜ生き物としての昆虫を見せようとしないのか。薬に沈め、針を刺すことで、生態のいのちは分かるのか。昆虫にも一つ一つの生命がある。その生命のねうちは人間の生命の尊さと少しも変わりないはずだ。(略)
    平気で虫を殺せる少年は、やがて生き物すべてを殺傷するようになる。相手の痛さが分かる子ども、虫のつらさを知る少年が、他人の痛さを自覚するようになるのです。私は、研究のためなら昆虫ぐらい殺しても何でもないという心を、少年に植え付けるのは罪悪だと思います。それは自己本位の人間を育てるだけのことです。
    早く捕まえた方がいい、とったら自分のものだ、という昆虫採集の競争心は、幼い子に所有欲と自分だけというエゴイズムを培うだけだ。(略)
    自然を傷つけ、小動物を殺すのも、水俣病もすべて根は同じです。昆虫採集を喜ぶ心と水銀の垂れ流しに痛みを感じない心とどこがちがうでしょうか。同じことです。」
  • 真言宗僧侶でありながら、禅門と真宗の教えに共感「留置所では広さ三畳のところに十三人の人間と一緒にぶち込まれ、薬を欲しいといえば国賊に付ける薬はないと怒鳴りつけられる。ハゲチョロの碗に盛った食事は、まずくてノドを通らない。ノミとシラミとダニだらけです。(略)
    坐禅をくむと不思議なものだ。三畳の房も広く感じられる。鉄棒や金網、扉の錠前も苦にはならなくなった。食事もいただける。(略)
    私は捕らえられ、ぶち込まれ、その軽信、軽はずみの自己偽態を知ったのです。鉄格子からさしこんでくる陽を見ているうちに、ふと私は南無阿弥陀仏と唱えていたのです。(略)
    私は真言宗の坊主でありながら、
    禅と念仏を遍歴してやっと加持感応の世界に眼が開けたのです。」


  • 【橋本凝胤(法相宗・薬師寺)
    東京大学インド哲学科卒。1943年法相宗の管長に、1968退任。第二次大戦中、日本必敗論を主張。平安時代以降の日本仏教を全否定する保守を通り越して化石のような奈良仏教崇拝者。1978年、82歳で遷化。
  • 仏像は偶像崇拝でしかない
    「橋本長老は話の中でひとことも薬師三尊の功徳や金堂のことに触れず、多少でも寺のことにかかわる話題となるや、ぷいと横を向き、苦り切った顔になる。つまり、橋本長老にとって伽藍とか仏像などというものは、仏さまの教えを学び、おのれの仏性を磨く上で、何の役にも立たぬ無用の長物にすぎないのである。」〔高瀬広居氏談〕
  • 平安時代以降の日本仏教全否定~これは仏教の深さの否定であり、単なる根性主義でしかない気もしますが・・
    「「迷わず自己を仏法に投げ入れて一筋に無垢に生きる」それが氏の宗教的確信であり、その確たる信念に立って、最長や空海の平安仏教の教え、親鸞・道元達の鎌倉仏教、さらには明治以降の近代仏教もことごとくニセモノと断じ、日本仏教千二百年の歴史に痛烈な拒絶と批判を加える。(略)
    人間が仏になりうる可能性を持っていること(仏性)と仏になること(涅槃、正覚)は天と地の違いがある。もし、仏にならんと欲し願うなら、徹底的に自分を責め付け苦しむことである。それを避けて、即身成仏とか煩悩即菩提とか、念仏申せば救われるなどといった甘えの無差別平等間にもたれかかって、どうして貧瞋癡の三惑に穢れた、どうしようもない人間どもが救われようか。そうしたええかげんな教えを説いた最澄、空海、法然、親鸞、道元、日蓮を捨てよ! と氏は抑えがたい憤りと蔑みをこめて私たちを叱るのである。」〔高瀬広居氏談〕



  • 山田無文(臨済宗・神戸祥福寺)
    臨済宗大学禅宗学科卒業。チベット探検僧河口慧海に学ぶ。花園大学学長、妙心寺派管長。毎年遺族と赤道直下の島で戦死者の遺骨収集を行う。著書多数。1988年、88歳で遷化。
  • 現代坊主は葬儀屋の親方である
    「法とは何か。人民を拝み民衆に奉仕する実践です。(略)
    寺院住職は葬式と法事で手が回らん。ヘルメットかぶってバイクに乗り、葬式にゆきおる。忙しい。葬儀屋の親方だな。だから寺の息子さんが坊さんになるのを嫌がる。当然だ。こんな不名誉な職業嫌がりますよ。
    つまり今日の仏教教団は、仏教を何も教えないところなのです。立派な本山があり、管長がいる。しかし、管長が何を教えられるのか。儀式に出るだけだ。緋の衣に金襴の袈裟を欠け、ゾロゾロ並んでお経を読む。それだけやないか。ありゃオイラン道中や。私はそういっとる。仏教やない。(略)
    しかも人間平等を説かれた釈尊の教えを継ぐ僧の社会に僧正とか僧都とかいう階級があって、衣の色まで違うとは笑止千万です。(略)
    現在のような坊さんばかり二十万人いたって、仏教は国民のために生きやせん
  • 日本の教育は根幹思想の欠如に問題あり
    「みんながあってこその自己なんです。これが人生の根本だ。この心を押し広めれば、鳥も殺すな、虫一匹殺すな、物を粗末にせず、いのちを大切にせよ、ということになる。(略)
    教育の不毛と、そのよりどころを失った教師に育てられてきたからです。自由主義国にはキリスト教がある。中国には儒教と毛沢東主義がある。アジア・アフリカにはイスラム教があって根幹をなしている。日本には今、なにもない。


  • 【大西良慶(法相宗・清水寺)
    14歳で興福寺に入山、法隆寺勧学院第一期生として唯識を学ぶ。戦時中に法相宗管長に。1914年から遷化した1981年まで67年間清水寺貫主を勤める。著書多数、漢詩・和歌に造詣。1981年、106歳で遷化。
  • 慈悲心を育てるのが仏教
    「いまの人は自己本位なんやね。誤れる自己主義やね。地上にあるものは平等の権利があると仏書には書かれているが、本当や。この世にあるものはすべて平等の権利が集まった合力の世界やからね。動物や魚かて人間に会わなんだら、殺されずにすむ。仏教が殺生を戒めるのは、この殺されずともええものを殺して食う人間に、ああ可哀想にという気持ちを持たせ、平等を気づかせるためなんじゃね。これを慈悲心という。慈悲の心は人と物との間に気を通わせるの。」
  • 戦争の愚かさを訴える僧もいた
    「わしらの半生は戦争や。いくさ好きじゃね。わしも203高地の戦場に従軍僧として参加した。そりゃ、悲惨なものだったの、わずか六日間で死傷者一万六千人にのぼっての。わしは乃木将軍を憎んだ。悪意を持って帰っての、日本中、将軍の悪口いうて歩いた。殺し方がひどい。歩くところみな死骸やった。機関銃で撃ちまくる中を走らせ殺したとな。(略)
    わしは早くから原水爆禁止、軍備廃絶、非核武装の平和運動やってきたの。百歳の坊主がな。不殺生と慈悲、
    仏教は平和主義や。」
  • 日本人へのメッセージ
    「日本人は分厚うならないかんの。すぐカーッとのぼせおる。ねばりがない。このままではもっと悪うなる。利己主義になる。公共概念もないし、親が死んでも皆して財産分けることしか考えん。(略)
    死んだら死んだでしまいやと一代限りの考えやによって、思想は伝わらん。教育もでけんの。」



  • 【友松圓諦(東京神田寺・浄土宗離脱)
    宗教大学卒、慶應義塾大学史学科卒、仏教法制経済研究所を設立。英語、ドイツ語、フランス語、パーリ語、サンスクリット語を自在に操る。大乗小乗仏典をことごとく読破。浄土宗を離脱して神田寺という単立寺院を創建。1973年、78歳で遷化。
  • 釈尊の中道の精神をいまに引き継ぐ重要人物は・・
    「釈尊が説かれた教えの根本は中道。中道とは正しい道。それだけではない。実際の人間生活に役立つ正しい道、現実に即した、空理空論ではない正道、それが中道。ところが、釈尊が亡くなって百年も経つと、仏教は思弁化した。坊さん達が暇になったんだね。これで釈尊の努力がふいになった。釈尊は形而上的、思弁的、観念的で抽象的になったウパニシャッド(古代インドの宗教)哲学を、形而下的、実践的、現実的にするべくつとめられたのにね。またひっくり返してしまった。それを見事に、再び現実化した人は誰か。知る人ぞ知るだね。法然上人です。(略)
    膝をつねって無理に目を覚まして念仏をしろというのではない。眠かったら寝なさい。目覚めたら念仏せよ。すばらしいね。ここに無碍(こだわりのなさ)がある。
    自然法爾です。中道とは、これをいう。」
  • 仏教は極めて現実的
    「仏教は虚無的だ、ニヒルだという人がいる。とんでもない錯覚であり、誤解です。釈尊は脱世間的、非科学的な教えを何一つ説かない。釈尊は死人のためにお経なんか一度も読まなかったし、死ぬことがすばらしいなどと口にしなかった。生きることが第一。そして、現実の大地にしっかと足を踏み下ろして(二足尊)、極端におちいることなく、保守的にならず、たえず前進的に問題に取り組むことを推し進めたのです。
  • 仏教は人間中心主義
    「仏教は人間中心の宗教であり、二足尊の宗教である。原始宗教以来の神話の宗教に対し、人間の宗教としてうまれ生き抜いてきた。火の神でも水の神でも、土の宗教でもない、生命尊重の人間宗教です。ちかごろ、日本人は生き甲斐といっているが、生き甲斐とは、「ありがとう」ということだ。ありがとうとは、「あることかたし(在ること難し)」です。法句経182番に「人の生をうくるはかたく」とある。いのちとは「あることかたし」、すなわちサンキューではない。めったにないことだということだ。これほどまでに生きていることを喜び感謝する心を持てばそれが生き甲斐になる。」