2016年10月15日土曜日

浦安の史跡巡りの第二弾

2015年4月に浦安市文化財マップをもとに、自転車ですべて巡った。
当代島善福寺から、堀江地区(清瀧神社周辺)、猫実地区(豊受神社周辺)。

今回は堀江地区で浦安町役場跡を過ぎてから、前回一番印象に残った浄土宗の「大蓮寺」をスタートに散策開始。

「大蓮寺」の小さな参道が好きである。水子地蔵を祀っているが、何とも静寂な雰囲気で、では法然上人像と対面。『願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国』の文字が並ぶ。
1544年に小田原から移築されたとされる古刹。浄土宗鎮西派、大本山増上寺の末寺。

続いて、おびんずるさまの「宝城院」(新義真言宗豊山派)を横目に、清瀧神社から宮前通りを渡って、フラワー通りを進む。

浦安最古の建築(といっても明治に建てたもの。明治以前のものは全くないという街)の旧宇田川家住宅の前で一枚。旧大塚家住宅は入り口看板のみ。

のどかなフラワー通りの突き当たりまで行くと、地域は猫実に。
手前に、日蓮宗「正福寺」。
日蓮像がある前のベンチは落ち着く。二番目に好きなお寺。
「しなび地蔵尊」「浄行堂」という二つの見どころがある。
明治13年の大火事で燃え、大正11年に再建。

すぐ隣が真言宗の文字より豊山派の文字が大きい「東学寺」は、入り口の駐車場で若者達が引っ越し?のような作業をしている不思議な風景。
東学寺も、明治13年の大火事で焼け、大正4年に再建。

ここから境川を渡る橋が「境橋」。「おっぱらみ」「境川」の説明がある看板はここ。

その先には比較的広い敷地の豊受神社があり、隣が新義真言宗の「花蔵院(けぞういん)」。
ここも良い。前回は、檀家さんが集まって法事中でなかなかずかずか入れなかったが、今回はゆっくり巡る。
この寺にある「公訴貝猟願成の塔(こうそかいりょうがんじょうのとう)」は、三番瀬で船橋の漁師との争いで死んだ三名の浦安漁民の冥福を祈って建てた塔というように、漁村時代の名残を感じることができる。
1293年の大津波、1713年の暴風雨、1857年の大地震と、何度も本堂は破壊され、現在は大正5年に再建されたものという。

今回のコースは、今後もお気に入り定番コースになりそうだ。







2016年7月17日日曜日

久留米市の寺町参拝

7月17日は、玉名市の役目を終えてから久留米市へ移動して、石橋美術館で「石橋美術館物語」の特別展を観た後、中央公園ののどかな中を通過して、やはり寺町に足を延ばした。

・真教寺:真宗大谷派
  メールだラインだとおかしな標語が掲げてある。佇まいは真宗らしくなく、古めかしさが残っている。
・浄顕寺:真宗大谷派
  入口の花が美しい。この時期、この浄顕寺の花が唯一だった。
・西方寺:浄土宗
  「草木がお日さまを目指すように夢や希望へ伸びてゆこう」が標語。仏教である必要がない…。    
・誓行寺:浄土真宗
  この浄土真宗の寺も重厚な佇まいで、真宗らしくない。
  阿弥陀経を唱える声が、男女子供の靴が並ぶ本堂から聞こえている。
・妙正寺:日蓮宗
  入口の標語が傾いてしまっている。
・妙蓮寺:浄土真宗
  小さな浄土真宗らしいアットホームな佇まい。
・正覚寺:曹洞宗
  本堂が奥まった位置にあり、山道・山門という作りになっているが、小さい寺。
・千栄禅寺:曹洞宗
  1610年開山たが、ブリヂストンの石橋正次郎さんが寄進改築を行った結果、したことからか、石橋美術館ばりの洋風レンガづくりの寺院で、曹洞宗でこのような佇まいの寺院は初めて観た。衝撃的だった。本堂内にはステンドグラスを想起させる色ガラスさえあり、ほとんど教会という様相である。
・妙禅寺:日蓮宗
  入口のアルミサッシのドアが安っぽく見える。
・善福寺:浄土宗
  水子地蔵尊と入口にある。本堂は新興教団をイメージさせるような建物。
・徳雲寺:臨済宗
  珍しく、壇信徒以外は立ち入り禁止を掲げている。観音像が目に入り、三十三観音霊場とある。
・遍照院:真言宗
  庭園が有名らしいが、かなり手入れが悪く、一番廃れた怪しさがあった。八年前のガイドブックでは寺町の代表寺院がこれだった。寛政の三奇人の一人高山彦九郎の墓地あり。 
・少林寺:臨済宗
  少林禅寺とも。
・医王寺:真言宗
  奥まった位置にある独自の雰囲気をもつ。弘法大師像が目立つ。
・本泰寺:日蓮宗
  神社のような赤い山門が目立つ
・宗安寺:浄土宗
  壇信徒が次々やってきて、一番賑やかだった。
・心光寺:浄土宗 
  地味。
  
30度を超える中、一万歩以上を歩いて17のすべての寺町の寺院を参拝した。

2016年7月16日土曜日

博多の寺巡り

熊本は玉名市の出張で博多に前泊。

7月16日朝、博多の寺町を散策。
ホテルアクティブ!博多から、博多区役所を通過して北上していくと、藤田公園という蝉の鳴き声で何も聞こえなくなるような公園の前を通り越し、承天寺通りに。
ここだけが見事な風情でとても落ち着く。かなり新しく奇麗にされた感はあるが、清々しい。
・承天禅寺:臨済宗
  承天寺ともいう。風情ある広々した佇まい。壇信徒のみ入れる石庭も入り口から覗いて撮影。
・乳峰禅寺:臨済宗東福寺派
  寺の名称に乳の漢字は珍しい印象。臨済宗らしく上から目線で入口の標語は気にくわない。
・妙楽寺:
  妙楽禅寺とも。名士の墓が多いらしい。ういろう伝来の地という石碑があった。
・圓覚寺:臨済宗
  円覚禅寺とも。鎌倉の寺と同名。
・聖福寺:臨済宗
  なんと建仁寺以外に栄西禅師が建てた寺が博多にあったとは。建仁寺派から現在は妙心寺派とのこと。
  大きな構えで建物も庭も美しいのだか、あちこちに「写真の無断撮影は禁止する」というのがいけない。誰もいないので、当然撮影したが。
・東長寺:真言宗空海創建とされる。
  平成4年に国内最大級とのうたい文句で「福岡大仏」を安置したが、観光集客目的丸出しだったので、寄らず。真言宗らしい節操のなさと派手さが、周辺の臨済宗寺院と一線を画していた。

チェックアウトに間に合うようにホテルに戻ったのが10時。新玉名へ。

2016年2月18日木曜日

莫妄想 刹那主義 でいく

目の前のことより、あれこれと頭の中でこねくり回すものが「妄想」。

思えば、今日あった出来事を頭で反芻したり、後悔したり、明日どうするかで頭がいっぱいになったりして、家族からの語りかけに上の空になっていることが頻繁にあります。

「莫妄想(まくもうぞう)」、「妄想するなかれ」です。

目の前をおろそかにするしわ寄せの積み重なりは、最後は自分にツケが回ってきますので。


もう一つ。

「人の一生とは、一刹那だけです」とは釈尊の言葉。

「刹那」という時間の最小単位をさす仏教語は、人生にあるのは刹那だけであり、人生はその刹那の積み重ねで構成される、という考え方の根本です。

刹那主義というと、自分の快楽を優先して、今さえ良ければ後は知らないという無責任な生き方として、一般には決して良い使われ方をしません。

しかし本来的には、今、その瞬間を大切にして歩んでいくことが「刹那主義」ということになります。
考えてみれば、目の前のこと、目の前の人以外、「私」が対峙出来るものはありません。色々先のことを想像したり、勝手に予測したりすることはできても、実際には目の前、刹那としか対峙しえません。 刹那をどうするかだけが、三次元の世界における私の全てです。

そうなると、一瞬一瞬の刹那、目の前のことをどれだけ大事にできるかどうかが、突き詰めれば人生の全てとも言えるように思います。

「莫妄想」、「刹那主義」でいく。

そのためにも、口にする言葉には心を込めて安らぎに満ちたものにすることを心がけ、笑顔で接することが大事になるのだろうなあ、と思ったりした長い病床でした。

2016年2月1日月曜日

他人を利するためにできること

もともと20代からプライベートが仕事より比重が大きかった人間ですが、いわば「運命共同体」である家族ができた時に、今後人生で何を大切にしなければならないかがハッキリしました。

それから心がけてきたのは、早く家に帰ることです。

家族が「家」という空間に幸福と安心を感じる、そんな場にするために、出来る限りのことをする。

業務時間中は出来る限りの効率で働きますが、早く帰宅し、語らい、ふれあう毎日を繰り返すことが、何より互いの健全な魂を育くむと信じています。

「忘己利他」「自未得度先度他」「衆生無辺誓願度」「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」・・・。

他人を利することを第一に考えるという仏道の教えは幾らでも出てきます。

では、自分の生活に置き換えて具体的に実践するには一体何ができるか。
一人の人間がすべての衆生を救うなんてことは出来るはずはしないし、それは思い上がりか勘違いでしかないでしょう。
となると、まず自分の一番近くの有縁の人、私で言えば家族のためにやれることをやるということが、最も理にかなうのではないか。
もっとも家族の話題は、人それぞれ事情がありますから普遍化できないことは承知しています。

ただ、毎日遅くまで仕事ですよ…、休日出勤が続きまして…、休みは家で宿題(仕事)ですわ…、趣味といったらまあ仕事ですかね…・・・
それを誇らしげに言う人とは、多分相容れる部分はありません。

言いたいのは、家族のような「最も親しい『縁』を持つ人」との関係を軽視して、まともに人生を全うすることはできないということです。

仕事一辺倒の人、あるいは自分より大切な誰かがいないのかな、と感じる人を、どうしても信用できない理由はそこにあります。

(外的要因からの文脈ではなく)「おひとり様」などと自分に「様」までつけて、自分中心に生きることを正当化して使っているのを耳にすると、ただの「自分様」だろうとさえ思います。
歴史的にも世界的にも、家族を大切にしない時代・民族は稀と思っています。

それは病んだ世界です。

現代の日本、もっと言えば高度成長期以降の日本は、その代表的な「家族崩壊」系の社会といって過言ではないと思います。私たちの親やその上の世代からです。

家族等より明らかに縁遠い会社の人間関係等を優先させ、他人にも強要してきました。

その価値観を引きずっている人がどれだけ多いか、長年社会にいればわかりますし、現代日本の深刻な社会課題の根源はここにあると感じています。

今、10代・20代の若い人たちがその価値観へのアンチテーゼともいえる方向で、システム化・仕組化されすぎた社会の殻を割ろうとする姿に苦言する大人が多いですが、私はむしろエールを送りたい。それは長い目で見ると正常な行動と思えて、嬉しくなるのです。

社会的ステータスがフリーターといわれようが何だろうが、家族(有縁の人)を大事にするという基本姿勢を持つ人の方が人間の自然な姿であると思っています。

かなり突っ込んで書いたので、不愉快な思いをして読まれた方もいらっしゃることと思います。

すみません。でも、これは自分への戒めでもあるんです。

冒頭の「早く帰る」の例外として、一刻を争う災害対応は、家族の理解を得て、時間の縛りから一旦解放する位置づけをしてきました。
しかし毎年災害は絶えず、一年のうち、結構な時間を災害対応に費やすのが現実。

そして最近は結局それに引きずられるように、それ以外でも早い帰宅ができなくなりつつある。

そう考えると、心がけると言ったことが実行されていないことへの自己嫌悪と同時に、出来ていないからこそ、このことは意識し続けたい、と思うのです。