2006年7月17日月曜日

仏教者からの子育て名言・名文句

仏法に照らしての「子育て」への一言は実に重みがあり、人類悠久の歴史に耐えうる普遍性を感じさせます。
「子育て名言・名文句」から独立させてここに抽出してみました。



  • 天地いっぱいの人生/内山興正/春秋社
  • 子どもを育てる立場になって目覚めた自分が待っていた言葉はここにありました!子供を産んだ、ということを、「これは、とんだことをしたのだ」と思わなければならないということです。「とんだことをした」と思う気持ちがないから、ただ惰性だけでわが子を育てている。これでは困る。子供を産んだことがなぜ「とんだこと」なのか。それは「新しい生命をこの世に送り出した」からです。それも自分たちが夫婦になって勝手に産んでしまった。生まれてくる気があるのかどうか、子どもに聞いて承諾を得たわけではない。子どもにとってはこの世に出ることは甚だ迷惑だったかも知れない。つまり「とんだこと」をしでかしたわけです。(略)
    まっさらな目でみれば、
    子どもにとって自分が生まれたということは、まったく自分の意思ではなく、ただ親たちの勝手な行為から一方的にそうさせられたわけです。(略)
    いずれにせよ子どもという新しい生命をこの世に送り出しのだから、いま申しあげたことをよく考えて、十分に責任を感じ、この新しい真の生命としてつらぬかせるだけの地盤は、どうしても作ってやらなければならいという覚悟をもっていただきたい。そんな覚悟もなしに、ただなんとなく生んでしまった。かわいらしいからかわいがる。わるさをするから叱る。勉強しないから塾へ通わせるといった無方針な育て方でいいはずはありません。ここのところを誤るなら、
    その報いは、だれでもない、親であるあなた方ご自身が受けねばならないと言うことを考えるなら、これは子どもだけの問題ではなく、あなた自身の問題でもあるのです。事実、子どもというものは、親の人生観、親の生活姿勢、親の生き方に対して、だれよりも厳しい審判者だと言うことを心得るべきです。これが少しでも歪んでおれば、やがて子どもたちは、「お父さん、お母さんの人生観、生き方はここが歪んでいる」とハッキリ突きつけるようになるのです。たとえば、あなたがいつも金、金といいながら生きているなら、子どもはやがてそんな生き方はくだらないと批判して家出するか、それだけの批判力のないつまらない子どもなら、親の貯めた金で身を持ち崩して親を泣かせるでしょうし、そんな親の人生観に共鳴するような愚かな子であれば、やがて親より金の方が大切だと、親を金以下に扱うようになる。これは火を見るよりも明らかです。また、見栄っ張りでいつも世間体のいいことが一番いいことだと思っているような親なら、もし子どもが優秀な子であれば親を批判して出て行くに違いありませんが、子どもが親に似て見栄っ張りなら、当然「親や家族より出世の方が大切」という人間になるはずだし、本人がお粗末で出世できないとすると、ノイローゼになって精神病院のやっかいになるか、あるいはアクの強い人間なら出世のためにやりすぎて、汚職などをしでかして牢屋にはいるようなはめとなる。」


  • 悲しみはあした花咲く 摂心日めくり法話/青山俊董/光文社
  • 私が常日頃から「子育て」を捉えてきた考え方がそのままここにありました「子どもが生まれなければ親にはなれないものです。子どもが生まれると同時に、親も誕生するのです。子どもも零歳なら親も零歳。子どもと一緒に年齢を重ねてゆくものです。(略)
    子どもの信に答えうる親になるためには、子どもの成長と共に日に日に成長してゆくことを忘れてはならないと思うのです。(略)
    「子どもこそ、大人の親ぞ」という言葉があります。
    親を親として、また一人の人間として育て上げてくれるのは子どもだといういうのです。(略)
    子どもを鑑として自らの生き方をかえりみるとき、親として、人として、落第でしかない私がそこにいる。わが子の前に「勘弁してくれ」と詫び、しかしながら、「この子の信に応えうる親にならなければならない」と子の前に姿勢を立て直し、立て直し、生きようとする。そういう人こそ、親らしき親になれる人ではないでしょうか。そいういう親の元にあって初めて、良き子も育つというものではないでしょうか。(略)
    よき育児と「育自」によって、いまの混乱した日本も、必ずよくなります。」


  • 生かし生かされて生きる/青山俊董/春秋社
  • 乳幼児の育児への心構えはやはりこの通りです「家庭の雰囲気、親子、兄弟、夫婦の愛情、嫁と姑の間の感情のしがらみ、一見の中での雰囲気がどんなふうかという、それがどれほどに子どものこころに影響を及ぼすか。それは子どもの将来を左右するほど大きな力を与えるのです。親の心の僅かなゆらぎ、家庭内の雰囲気のあらゆる形が、子どもの心の健全な成長にひびくことを忘れてはなりません。人間の一番大切な心の形成というものは、三、四歳までで百パーセント完成だそうです。この一番大事なこころを育てるときに、最新の注意を払って、育ててやっていただきたい。何も分からないからといっていい加減なことをいってはいけない。子どもの前で、口争いも、恐ろしい思いもさせたくない。その親の目の動き、心の揺らぎ、全部を真っ白い心の印画紙にやきとり、読み取って育っていくのですから、それがその子の生涯を支配するほどの力になるのです。二度と書き直しの出来ない文字を、切れば血の出るこの体で、毎日刻々と書き与えてやる、それが子どもの周りに立つ親の姿であり、親たちの責任です。」
  • 親は子にとってこういう存在であることを自覚し続けなければ「お母さんになる日が来たら、お母さんのようなお母さんに、お父さんになる日が来たら、お父さんのようなお父さんになりたいと胸を張って言える子どもは幸せです。今日食べるものが少なかろうが、栄養が少し足りなかろうが、着るものがボロであろうが、そんなことで子どもの心は歪みはしないと思うのです。(略)
    たった一人のお母さん、お父さんを誇り高きものに思うといった、最高の心の栄養をちょうだいしているのです。こういう子は、絶対に横を向かないでしょう。非行に走らないでしょう。(略)
    子どもにとってかけがえのない、世にたった一人の父、世にたった一人の母が、最高に尊敬できる人、すばらしい人であることが、子どもにとってどんなに大切なことか。毎日食卓にのぼせる食事、毎日着せる着物もさることながら、父母の生き様そのものという精神的食物が、どんな内容であるかを考えなければならないと思うことです。(略)
    教え子が(略)離婚したいと言ってきました。私は一言だけ言いました。「あなたはご主人をとりかえることができるかもしれないけれど、子どもさんはお父さんを取替えることができないのよ。子どもさんにとっては、世界中にたった一人のお父さんであることだけは忘れずに行動してね」」
  • 共働きを選択する夫婦(母だけでは当然ない)に絶対必要な視点「(郡山の全盲の詩人)佐藤浩さんは、30年間の児童詩誌「青い窓」の編集を通じて改めて気づいたこととして「遠ざかったのは母親の笑顔だけではなく、その前に母親の目が子どもの実像から遠ざかっているということを指摘しておられます。これは一大事です。女性が家を出て社会進出し、また職業を持つことで生きがいある人生を送ることは結構なことでありますが、そのことのかげに子どもや家庭が犠牲になっていはしないか、明日の世代を背負う子どもを育てるということにシワヨセがいっていはしないか、反省してみる必要があると思うのです。」

2006年7月7日金曜日

【阿弥陀如来 根本陀羅尼】

大悲心陀羅尼」と類似した出だし、「あみりたー」の繰り返しが特徴の、別名「十甘露咒」「無量寿如来根本陀羅尼」「阿弥陀大咒」ともよばれる陀羅尼です。

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のうぼう あらたんのう 
たらやぁや のうまく ありや みたばやあ
たたぎゃたや あらかてぃ 
さんみゃく さんぼだや 
たにやた おん あみりてい あみりとう 
どばべい あみりた 
さんばべい あみりた 
ぎゃらべい あみりた 
しってい あみりた 
ていぜい あみりた 
びぎゃらんてい あみりた 
びぎゃらんだ ぎゃみねぃ あみりた 
ぎゃぎゃのぅ きちきゃれぃ あみりた 
どんどび そばれぃ さらば あらた 
さだねぃ さらば ぎゃらま 
ぎれぃ しゃきしゃ よぅ
きゃれぃ そわか

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陀羅尼だけに、基本的には「密教」である天台宗(台密)と真言宗(東密)が、この経文を読誦する代表的宗派のようですが、一方で阿弥陀如来を賛える内容ですから、浄土系も読誦します。といっても、何かと独自性の強い浄土真宗では登場しないようです(時宗は資料が少なく現時点ではよくわかりません)。

(2006/06/25)


2006年7月6日木曜日

【破地獄偈】

短くも「地獄」を破る偈文というだけに、見事仏法のエッセンスが凝縮されています。
もし過去現在未来の仏(つまりこの世の道理)を知りたければ、仏法の性質を見定めよといいいます。そして「地獄」とは「すべては心が造っている」ものに過ぎない・・・。
心が乱れたときは、すぐにもこの言葉を思い起こすことが大きな功徳を与えてくれるといえましょう。
お盆の先祖供養に読誦することにどんな意味があるのか、もう一つ不明ですが。
仏法はこの経文に限らず皆そうですが、追善供養という仏法に関係ないところ話ではなく、自己を見詰めるときに必要となるのです。


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若人欲了知
三世一切佛
應觀法界性
一切唯心造

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新たに購入した浄土宗CDからの第一弾。浄土宗は木魚の裏打ちに加えて、読誦のスピードの遅さが特徴かも知れません。20字の中に深い響きがあり、これも自分によく響いてくる経文のひとつとなりました。(2006/06/19)

2006年7月5日水曜日

【山家学生式】

日本仏教は比叡山延暦寺を母として皆誕生してきたといって過言ではありません。
その本家本元天台宗の開祖傳教大師最澄の代表著作からの経文「山家学生式」は、国宝というキーワードを用いて、大乗仏教の「忘己利他(もうこりた)」の精神を説きます。

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国の宝とは何物ぞ。
宝とは道心なり。
道心ある人を名づけて国宝と為す。
故に古人言わく、
径寸十枚、是れ国宝にあらず、
一隅を照す、此れ則ち国宝なりと。
古哲また云わく、
能く言いて行うこと能わざるは国の師なり、
能く行いて言うこと能わざるは国の用なり、
能く行い能く言うは国の宝なり。
三品の内、唯言うこと能わず、行うこと能わざるを国の賊と為す。
乃ち道心あるの仏子、
西には菩薩と称し、東には君子と号す。
悪事を己に向え、好事を他に与え、
己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり。

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総本山中の総本山ともいえる傳教大師最澄開山の比叡山延暦寺の読経CDからの一つ目となる。天台宗は「円・密・禅・戒の四種相承」というだけに、何でもありというイメージで、逆に天台宗ならではというものが見えてこないという印象ですが、この山家学生式は最澄の代表著作のエッセンスであり、「国宝」というキーワードがちょっと目新しく平安仏教らしい発想も伺え、しかし「大乗」仏教のまさに日本の夜明けという強い決心が伝わってきて感動的であります。(2006/06/14)

2006年7月4日火曜日

【十善戒】

これは専ら真言宗におけるスタンダードで、これまで曹洞宗修証義の第三章「受戒入位」にある道元禅師の規定する「十重禁戒」に慣れ親しんできたのでちょっと内容の偏りが気になったりするが、こういう10の戒律もあるという知識として知っておきたいと思いました。

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弟子某甲盡未来際

不殺生
不偸盗
不邪淫
不妄語
不綺語
不両舌
不悪口
不慳貪
不瞋恚
不邪見

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佛道の戒律というのは宗派毎に色々あるのが現状だし、だいたい僧に科せられる戒律は大変に数の多いもの(あくまで小乗の僧かもしれませんが)ですが、在家の我々が心にとめるという点では、道元禅師が正法眼蔵の中で唱えて、修証義の第3章「受戒入位」で示されている「十重禁戒」が内容としては一番しっくり来ます。といいながらもスタンダードな単体の経典としてはこの真言宗の「十善戒」も知っておく必要があろうかと覚えました。どうも「口」を封じる傾向の強い内容であります。

(2006/06/05)

2006年7月3日月曜日

【七仏通戒偈】

仏教を一言で言うとこれです。
「悪い事はしない。善い事をする。すると心は清らかになる。これが仏の教え。」
何とストレートな話でしょうか。

七つの仏が十三仏真言のようには出てこないが・・と思っていたが、これは釈尊の前の仏(釈尊が七番目)から釈尊まで七台に渡って面々と行持されてきた教えですよ、という意味での「七仏通戒偈」であることがわかりました。
ということですから、最後の行は「ぜしょ・ぶっきょう」ではなく、「ぜ・しょぶつ・きょう」です。

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諸悪莫作
衆善奉行
自浄其意
是諸仏教

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今更ここでなぜこの経文・・?というくらいに、仏教宗派どころか大乗・小乗も貫いての根本の教えがこれであります。「悪いことするな、いい事しろ、すると心が清らかになる。これが仏の教え」という強烈な単純メッセージは、子どもへの道徳観植え付けと何ら変わらないようですが、やはり行き着くところはこれしかないのでしょう。これは音のもっていない唯一の暗記お経です。(2006/06/02)

2006年7月2日日曜日

【大悲心陀羅尼(大悲呪)】

臨済・曹洞の禅宗においてよく読誦されるいわゆる「陀羅尼」です。
陀羅尼は梵語(サンスクリット語)を漢字で音写したものであるために、漢字の経文から意味をとることはできません。そして、その漢字を日本語発音で読んでいるわけですから、「呪」とあるように、ほとんど呪文というか暗号のようなものであります。
「修証義」のように意味を噛みしめながら読むことのできるお経だけではなく、このような呪文もまた仏道の幅の広さ、奥の深さかもしれません。
この大悲呪は『千手千眼観自在菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経』という経典の中の陀羅尼部分だけをとり出したものです。
これまでも、「十三仏真言」「光明真言」という真言宗における定番の陀羅尼を覚えたり、般若心経でも有名な「ぎゃーていぎゃーてい」のくだりなどで陀羅尼に接してきたわけですが、今回のこのように本格的な長さをもつ陀羅尼は初挑戦です。

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なむからたんのーとらやーやー。
なむおりやーぼりょきーちーしふらーやー。
ふじさとぼーやーもこさとぼーやー。
もーこーきゃーるにきゃーやー。えん。
さーはらはーえいしゅーたんのーとんしゃー。
なむしきりーといもーおりやー。
ぼりょきーちーしふらーりんとーぼー。
なむのーらー。きんじーきーりー。
もーこーほーどー。しゃーみーさーぼー。
おーとーじょーしゅーべん。おーしゅーいん。
さーぼーさーとーのーもーぼーぎゃー。
もーはーてーちょー。とーじーとー。えん。
おーぼーりょーきーるー。ぎゃーちーきゃーらーちー。
いーきりもーこー。ふじさーとー。
さーぼーさーぼー。もーらーもーらー。
もーきーもーきー。
りーとーいんくーりょーくーりょー。
けーもーとーりょーとーりょー。
ほーじゃーやーちーもーこーほーじゃーやーちー。
とーらーとーらー。ちりにーしふらーやー。
しゃーろーしゃーろー。もーもーはーも-らー。
ほーちーりー。ゆーきーゆーきーしーのーしーのー。
おらさーふらしゃーりー。はーざーはーざ。
ふらしゃーやー。くーりょーくーりょー。
もーらーくーりょーくーりょー。
きーりーしゃーろーしゃーろー。
しーりーしーりー。すーりょーすーりょー。
ふじやーふじやー。ふどやーふどやー。
みーちりやー。のらきんじー。ちりしゅにのー。
ほやものそもこー。しどやーそもこー。
もこしどやーそもこー。
しどゆーきーしふらーやーそもこー。
のらきんじーそもこー。
もーらーのーらーそもこー。
しらすーおもぎゃーやーそもこー。
そぼもこしどやーそもこー。
しゃきらーおしどーやーそもこー。
ほどもぎゃしどやーそもこー。
のらきんじーはーぎゃらやーそもこー。
もーほりしんぎゃらやーそもこー。
なむからたんのーとらやーやー。
なむおりやーぼりょきーちーしふらーやーそもこー。
してどーもどらー。ほどやー。そーもーこー。


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臨済宗といえば大悲心陀羅尼、というくらいメジャーな陀羅尼ですが、曹洞宗大本山永平寺の読経を手本にして覚えました。永平寺の木魚の音の重厚さ、段々加速していくかなりのスピードをもった読経という特徴からも、リズミカルであるが故に、他の経文を繰り返し聞くことに比べて、随分と楽しんでできてしまった印象があります。
また、修証義をはじめとする日本語の意味のしっかりした経文は、いつまでも意味を追いながら読誦するが故に、未だにぶっ通しで諳じられるというには、立ち止まりながらという状態であるのに対して、般若心経もそうでしたが、意味を追わずに完全に音で覚えてしまうという種類のこれは最たるものであります。
実は、このタイプの読経のほうが読んでいてかなり気持ちがいいのです(心がこもらなくなりがちということの裏返しなのですが)。

(2006/05/27)

2006年7月1日土曜日

【宝塔偈(妙法蓮華経見宝塔品第11)】

妙法蓮華経見宝塔品第十一の偈部分です。法華経ですからやはり日蓮宗の定番です。
法華経の世間への布教を推賞するというその中味も正に日蓮の最も狙ったところですから、重宝されるわけです。

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『宝塔偈』

此経難持 若暫持者 我即歓喜 諸仏亦然
如是之人 諸仏所歎 是則勇猛 是則精進
是名持戒 行頭陀者 則為疾得 無上仏道
能於来世 読持此経 是真仏子 住淳善地
仏滅度後 能解其義 是諸天人 世間之眼
於恐畏世 能須臾説 一切天人 皆応供養

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前の経文から2日しか経っていないのは初めてでしょう。実は舍利礼文と宝塔偈は同時に聞き始めて、だんだん慣れてきたところで一気に暗記作業を行ったため、こんなに近い暗唱達成となりました。字数も、漢字ばかりの「正信偈」の840字から100に満たない小品に切り替えると、案外覚えるのが早いという印象です。(2006/05/11)