2006年12月30日土曜日

五木寛之 ~共感した名文・名文句~

浄土真宗の他力思想を基本に、的確で分かりやすい文章で時代のゆがみを指摘し、人間の本質に迫る。70歳とは思えない若い感性と世間に対するアンテナを持ち、新しいものを単純に切り捨てず一つ一つ考え方をはっきりさせているところは、誠に敬服いたします。


  • 不安の力/集英社
  • 自殺の背景を考えれば、日本人の心の病の拡がりが明確になります「印象に残っているのは、、一人の自殺者が出ると、その背景には十人の自殺未遂者がいる、というデータでした。(略)そうなると、日本でも年間三十三万人が自殺を試みていて、その一割の三万三千人だけが成功している、といえるのではないか。さらに大きな問題は、一人の自殺者が出た場合、その肉親、親戚、職場の同僚、友人たち、地域の人々など百五十人から二百人が、生涯心に消えない傷を負うという研究報告がされていたことです。」
  • 泣ける人間が喜びをつかめる人間
    「悲しみや嘆きや絶望を知っている人だけが、本当の意味での喜びや希望を自分の手につかむことが出来る、ぼくはやはり強くそう思ってしまうのです。『泣く』というと、メロドラマを見て涙腺をゆるめるという風に想像しがちですが、そうではない『泣く』もあります。たとえば、国のために泣く、世界のために泣く。世のため、人のために泣く。こんなにひどいことが行われていいのか、と正義のために泣く。いろいろな泣き方があります。つまり、泣くべき時にきちんと泣けると言うことはとても大事なことなのです。」
  • 私の痛感する「ニッポン総幼稚化」を五木さんも指摘します
    「いまの日本の若さ思考というのは、完全に一方的なものだといっていいでしょう。成熟もいいけれど若さもいい、という形では決してない。成熟には見向きもせず、ひたすら若さの方だけを追っている。大人までが若い人たちの好みに合わせている。」「
    これほど子供っぽいカルチャーが大事にされている国は、世界の中で他にないだろうと思うほどです」「若いことに価値がある、というのは危うい考え方であり、貧しい考え方だ、という気がして仕方がないのです。やはり、世の中にはさまざまなカルチャーの階層があるべきなのです」
  • 心の拠り所のなく不安がる日本人の原因は「無宗教」
    「『真に頼るものがもてない』不安というのは、宗教を持たない日本人、という問題抜きには考えられない気がするのです。」「世の中にとって宗教というのは具体的に役立つものではあるまい、と思っています。宗教とは、世の中のプラスになるものではなく、一見、マイナスの働きをするものではないか。」「宗教はブレーキです。もし、人間の欲望というものをほったらかしにしておいたら、物欲も金銭欲も出世欲も無制限に加速していく。その揚句には、破滅が待っているだけです。」


  • 他力/集英社
  • 他力本願(本願他力)の言葉の誤解「時代とともに言葉の本来の意味が少しずつ変わってくるのは仕方のないことではありますが、<他力本願>の本当の意味は、決して単なる「あなたまかせ」「無責任」ではありません。それはひときわくっきりとした強い世界観に基づく大きな思想であり、危機に面した人間にとってのもっとも頼もしい力であると言っていいでしょう」
  • まさにこの心構えが<他力思想>だと思います「<自力>から<他力>への大きな展開がここに生まれます。『わがはからいにあらず』という言葉が、私の頭の奥にいつも響いて消えません。『なるようにしかならない』と思い、さらに、『しかし、おのずと必ずなるべきようになるのだ』と心の中でうなずきます。そうすると、不思議な安心感がどこからともなく訪れるのを感じる」
  • 近代医学と仏教の根本的思想の相違点「仏教的な考え方では、人間はそもそも健康な存在ではありません。人間は生まれつきから四百四病を身体の中に抱え込んで生れてくるのです。つまり人間は本来、病気とともにある存在であると言っていいでしょう。禅では病気のことを<不安>というそうです」
    「不安というのは、要するに体調が不安定になりバランスが崩れることによって、四百四病が表に出たということなのではないか。これまでの近代医学では、外側に病気の原因がいろいろあって、そいういうものが人間に悪さを仕掛けてきて、それに攻められて病気になったと考えています。ですから、それをやっつけていこうという非常に戦闘的な考え方です。戦う、勝つなんていう戦争用語がやたらと出てくる」
  • 常識は所詮限定的な時代と空間でしか通用しない「私は最近、とみに常識に会わないことを大事にするようになってきました。そっちのほうが正しい生き方のように思われてならないのです。そっちとは何かといえば、<直感>です。格好良くいえばヒラメキであり、古い表現をすれば勘となる。昔は第六感などともいいました」
  • 知の偏重が生んだ歪んだ世界「この五十年間、私たちは経済成長第一でやってきて、経済的には損だけれど、カネより大切なものがあるということをみんな見失ってしまった。損と得との間にいろいろな価値観があるということを忘れてしまったのです」
    「近代とはひとことでいえば、知の世界です。(略)いまだに知の世界が優先して、情とかルサンチマン(怨念・情念)というのは差別視され、蔑視されてきました。近代の超克など全く出来ていません。私は知識人は傲慢だと思います。むしろトルストイの言うように、『知識人や芸術家は一介の農夫に学ぶべきだ』と素朴に思う。(略)いま必要なのは、神戸の震災や酒鬼薔薇事件を前にして、理路整然と解説することではなく、
    絶句して立ち往生する、その心です。それが普通だし、大切なことです」

2006年12月23日土曜日

【総回向偈】

いわゆる締めの経文。
各宗とも勤行の終わりに「普回向(回向文)」を唱えるならわしがありますが、浄土系はこの「総回向偈」を唱えます。

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願以此功徳

平等施一切

同発菩提心

往生安楽国

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これは真宗の正信念仏偈をすごいスピードで読み上げる新しい音源を入手した際に、その最後に付いていた偈で、調べたら総回向偈であることが判りました。極めて短いものだが、これが最後に付くととても締ります。(2006/12/23)