2015年5月14日木曜日

日本仏教原点の旅

今はほぼ形骸化した日本仏教ではあるが、仏法僧の三宝のうちの、「僧」が1200年前からの流れを保ち続けてきたことで、自分も仏教に出会えたことは事実である。
金曜日に京都へ、日曜夜に山口へ出張というスケジュール、京都を徹底的に見るのはこの機会しかない、とまる二日間、日本仏教原点の旅を思い立った。
ここまでの写真は、その随所の風景と心象である。
寺院の厳粛な雰囲気と木とお香の香り、そして静寂は自分の心が最も洗われる空間であることは、小学校の頃から変わらない。その時から仏縁はあったのである。そういう意味では、人の少ない寺院を回れた今回は、十分にその空間に浸ることができた素晴らしい旅程であった。紅葉の終わったこの時期というタイミングも最高であった。2日間、断続的に小雨が降っている状況も格好の雰囲気を醸成した。

京都は、本当に大本山だらけで、いみじくも今回の旅は、真言宗、臨済宗、浄土宗、天台宗というものを巡回する流れになった。浄土真宗の二大本山は前回の京都(といっても26年前の話だが)でじっくり見たということで、今回は割愛せざるを得なかった。と、こうしてみると、京都は上記の宗派の寺院が圧倒的で、浄土真宗系は本願寺以外ほとんどみかけない。日蓮宗は西陣のあたりがその信者の中心とは言うが、あまり存在感のある寺がない。一番全くといって良いほど見かけないのが曹洞宗である。どこを旅しても曹洞宗の寺と出くわすのは一番確率が高いのに、京都市内は本当に曹洞宗には縁がなかったのが面白い今回の発見であった。

まずひとけの少ない高雄まで足を伸ばして真言宗の重要な寺、高山寺・西明寺・神護寺を。神護寺の階段群は、その日の10時間歩行の冒頭にしてはあまりにハードで、途中から足が棒のようになり、翌日の比叡山巡回時にはかなりハンディとなってしまった。続いて山を降りて、洛西の中心花園近辺へ。真言宗御室派の総本山仁和寺を巡り、続いてすぐそばの、臨済宗最大宗派にして最重要である妙心寺(臨済宗妙心寺派)。ここまで巨大な「街」を形成しているとは思わなかった。何と、関山慧玄(無相大師)の大法会の当日にぶつかって、ものものしい状況の中の訪問となった。退蔵院庭園を見てから、電車を乗り継いで一気に洛東へ移動。再び臨済宗の大本山、南禅寺(臨済宗南禅寺派)へ。巨大な作りの三門や水道橋?などユニークな建物に観光客の多さも納得。中では南禅院の庭園、外では金地院の庭園を鑑賞。青蓮院へ向かうと、国宝の限定ご開帳とやらに人がわんさか群がっている状態で、訪問は断念(こんな環境では当然その寺を味わうことができるわけがないから)。浄土宗総本山の知恩院は、読経の声が境内内に響き渡っている今回では唯一の寺院で感慨深いものがあった。日が暮れ始めたその後、臨済宗祖栄西禅師の建仁寺(臨済宗建仁寺派)へ。最後の目的地、六波羅蜜寺は真言宗智山派でありながら、超宗派の空也の寺として独自の存在感をもつ寺であるが、道に迷って到達が遅れ、すでに中に入れずに空也像は拝めず。その後暗闇を東本願寺(その近くがホテルだった)まで歩く道すがらは、浄土宗の小さな寺が無数にあった。
翌日は、京都ではなく滋賀へまわった。そう、比叡山延暦寺(天台宗)である。日本仏教最重要寺である。東塔・西塔と回ることができた。このオフシーズン本当に観光客が少なく、朝早かったのもあり、あの根本中堂をはじめ、多くの建物を自分一人の空間として延暦寺と向き合うことが出来、感無量であった。坂本まで戻ってきてから、疲れもピークだったので、坂本の街の中を散策して、天台宗の慈眼堂や滋賀院門跡、最澄生誕の寺を自称する生源寺などを拝観し、帰途についた。

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