2015年5月14日木曜日

早く家に帰ること

私は出来る限り毎日早くに家に帰ります。
仕事は山のようにありますが、関係ありません。

4歳と0歳(7か月)の2人の子どもが満面の笑みで迎えてくれることも何よりの楽しみではありますが、結婚した、家庭が出来た、子どもが出来た、これによって人生観が本当に変わったと同時に、どう生きるべきかが実にハッキリしたからです。

自分はどう生きたいのか。

まず人生で自分が何よりも大切にしなければならないものは何か。

これが家族ができたことで実に明確になりました。

自分と運命共同体といえる「家族」であります。
家族といかに幸せな時間を多く持つことが出来るか、どれだけいたわりあい、家庭にいることに幸せを感じる、そんな空間を作ることが出来るか。
特に我が家の二人の子どもは、(上の子も幼稚園に行っていませんから)社会に出ていないため、家庭がすべての世界で生きています。そこが快適でなければ、言ってみればこの世は地獄となります。

「忘己利他」「自未得度先度他」「衆生無辺誓願度」・・・他人を利することを第一に考える、という仏教語は幾らでも出てきます。
これが仏法の根本であります。
仏法の実践をして生きることを決めたからには、仏法を自分の生活に置き換えて、具体的に実践することが大事です。

すべての衆生を救うなんてことは一人の人間にできはしないし、思い上がり以外の何物でもありません。
浄土教は「南無阿弥陀仏」念仏こそが最終的には最も衆生を救う道につながるのだといい、親鸞聖人に至ってはそれを歎異抄でも証明しました。

根っからの真宗純粋同朋にはなれない私です。
そう考えて、何が仏法にかなうか、真理にかなうか。
まず自分の一番近くの有縁の人、そう家族のために生きるということが、最も理にかなっているのは明白です。

歴史的にも世界的にも、家族を大切にしない民族・時代は稀と考えます。そしてそれはどれもこれも病んだ世界でしかありません。
戦後の日本がその代表的な「家族崩壊」系の社会であることは明白です。
それを今も引きずっている人間がどれだけ社会に多いかも仕事をしていればわかります。
フリーターだろうが何だろうが、家族を大事にするという基本姿勢を忘れない人間こそが「まともな」人間である、ということが最近の自分の確信です。

そう思えばこそ、時間中は出来る限りの効率で働きますが、早く帰宅し、子どもたちと入浴し、語らい、ふれあう毎日を繰り返す。
とにかく「寄り添う」ことが何よりも健全な人間の魂を育たせることにつながると信じております。

それが今の自分の最大の実践すべきこと、これが結論であります。

(2006.8.31)

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