2015年5月14日木曜日

【白隠禅師坐禅和讃】

仏道の歴史から言えば最近といってもよい江戸時代において、妙心寺派の末寺から登場して臨済宗全体を一気に復活させた白隠禅師。その坐禅和讃は、とても意味が捉えやすい上に、仏道の真意を余すことなくおさえています

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【白隠禅師坐禅和讃】

衆生本来仏なり
 
水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ 
譬えば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず 

六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり 
闇路に闇路を踏みそえて いつか生死を離るべき

それ摩訶衍の禅定は 称嘆するに余りあり 
布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
その品多き諸善行 皆この中に帰するなり 

一坐の功を成す人も 積みし無量の罪ほろぶ 
悪趣いずくに有りぬべき 浄土即ち遠からず 

辱なくも此の法を 一たび耳に触るる時 
讃嘆随喜する人は 福を得ること限りなし
いわんや自ら回向して 直に自性を証ずれば 
自性即ち無性にて すでに戯論を離れたり

因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し 
無相の相を相として 往くも帰るも余所ならず
無念の念を念として 謡うも舞うも法の声 
三昧無礙の空ひろく 四智円明の月さえん

この時何をか求むべき 寂滅現前するゆえに 
当処即ち蓮華国 此の身即ち仏なり

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衆生こそが仏なのですよ、でもすぐにそれを忘れてしまうのがいかんのです、とやさしく説いています。
和讃というだけに、声に出して読誦すると、全体のトーンは明るく楽しいもので、また鎌倉時代の道元禅師のような難解な言い回しではなく、我々に近い時代の白隠禅師の言葉は理解しやすいのが特徴です。


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