2015年5月14日木曜日

随聞記「無為にして止めるが好き也」

ここら辺に仏法が中道たる所以をかいま見る気がする。
この文脈でこうくるのか、ちょっと意外な結論である。

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たとひ我れ、道理を以て道に、人、僻事を言ふを、理を攻めて言い勝は悪しきなり。次に、我れは現に道理と思へども、「我が非にこそ」と言って、負けてのくも、あしばやなると言ふなり。ただ、人をも言ひをらず、我が僻事にも謂ひ仰せず、無為にして止めるが好き也。

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たとえ自分が道理をもって言っている場合でも相手が間違ったことを理攻めで言い負かすようなことは好くないことである。また、道理と思っていても「私が間違えました」と引くことも軽はずみだ。ただ人を言い負かすこともせず、自分が折れるようなこともせず、決着をつけずして止めてしまうのが好いことである。

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