2015年5月14日木曜日

「日蓮」に関する誤解

1967年の古い本だが、あらためて久保田正文師の「日蓮」(講談社現代新書)に感銘を受けた。
特に後の新興宗教集団による歪んだ日蓮聖人像が出回ってることに対する誤解の指摘は素晴らしい。

・「偶像崇拝の否定」
「立正安国論」において、世俗的な欲求を充足するために、偶像を崇拝し、これに対して利己的な祈りや願いをかけることを固く戒めている。ところが、今日になると、日蓮を礼拝の対象となし、偶像にしてしまって、自分勝手な祈りを捧げている人がある。これは彼にとっては、迷惑この上もないことではあるまいか。

・「祖師としての自覚の有無」
彼自身は、自分をもって一宗の祖師であるなどとは、少しも考えていなかった。それは「日蓮はいずれの宗の元祖にもあらず、また末葉にもあらず」と、妙密上人御消息に述べていることによって知られている。あくまでも仏教の開祖釈迦牟尼仏を本師と仰ぎ、自分はその忠実な弟子であり、使者であると思っていた。

・「竜の口法難の創作性」
歴史的な考証によると、この当時には、まだ刑場に竹矢来を作る習慣はなかったということや、貞永式目には僧侶を死刑にすることは禁じられていたことなどがわかって、この話には相当後世の作り話の部分が多いと考えられている。

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