2005年2月8日火曜日

精進波羅蜜(毘梨耶波羅蜜)

精進波羅蜜(毘梨耶波羅蜜)(2005/02/08)

別名、毘梨耶波羅蜜(びりやはらみつ)。懈怠の心を対冶して、身心を精励して、他の五波羅蜜を修行すること。「精」という言葉は「まじりけのない」という意味。
「頑張れ」、というのがお決まりの台詞となった戦後の日本人。何につけても自力で立ち上がれという、自力思想ですが、これは「他力」でも書いたようにもはや限界があり、また他力というすべてのものの縁を考えたときに、大いなる勘違いをする元になるあまり好ましくない考えです。精進するというのは、頑張ることと似て非なるものと私は解釈します。他の五波羅蜜をこころに守って日々を過ごすこと、ということであり、怠惰は許されなくとも、「頑張る」必要はないのでしょう。
ただ、一生懸命に努力をする、というのはちょっと違います。静かな落ち着いた心で世の中のことをジックリと見て考えることが精進であると考えます。そうでないと、物事の本当の姿が見えてきませんし、誤った方向へ力を注ぎかねないことになります。
本当の精進、本当の努力とは、当たり前の事を当たり前にし、ゆっくりと着実に努力する事です。
釈迦は必死で苦行を重ねた結果、「中道」に気づかれました。人間らしいゆっくりとした生き方がこれです。

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