2005年2月2日水曜日

佛教の特異性

宗教比較論は簡単にはできませんが、世界宗教として長い年月の人類の歴史に耐えてきた偉大なる宗教の中で、やはり佛教にしかない特異性というものがあるはずです。それを列記してみると以下のような要素が考えられるのです。



  • 神ではなく人間が主役の宗教である
    仏教は、唯一絶対の神で世界を創造したとするキリスト教やイスラム教の神のような、人間を超越した神の教え(命令)を人々に説き聞かすという形式の宗教ではありません。
    あくまでも人間釈尊が、自らの努力によって到達した心の絶対的安穏(悟り)の体験を人々に示し、またその境地へ至る道筋を自らの言葉で語ったものであるといういわけです。

  • 王子の宗教であることが決定的な違い
    (釈尊の出家までの半生は)王子であるということは、学問や武芸等もキッチリ身につけた、ということを意味します。この点は、仏教の宗教としての性格を方向付ける大変大きな特徴だと思われます。
    というもの、同様に世界宗教とされるキリスト教やイスラム教では、教祖たちはそれぞれの出生や育ちにおいて恵まれることなく、読み書きも出来なかったようです。しかも、彼らは、釈尊のように哲学的思索や人生への反省などは、根本的に問題としておりません。
    それは彼らが絶対神の預言者、つまり神の言葉を人々に伝えるためのスピーカーであり、聖典に収められている教えが、彼ら自身の言葉として語られたものではないという位置づけからも明らかです。(略)
    釈尊の立場は、常に人間の側からの発想なのです。その点が自分を「神の預言者」、「神によって選ばれた人」と位置づけるイエス・キリストやムハンマドとは違うのです。

  • 仏教の現実性仏教はヒンドゥー教のような神や物事を生み出す何か(学問的には根本原理、あるいは第一原因といいます)を認めません。そういう一つの大前提に逃げ込まないと言うことです。
    仏教は、「世界はなぜ存在するか」「自分がなぜここに存在しているか」というような疑問(形而上学的学問に答えを与えない。そういう議論に対しては意義を認めない。

  • 仏教伝播の原因、地域の信仰とぶつからなかった理由悟りの世界、真実の世界は言葉で表現可能であるという仏教の基本姿勢は、その後数々の言葉に仏典が翻訳されることを可能とし、仏教が世界各地に伝播する原動力となった最大の理由です。
    また仏教の誕生に他の宗教の神が深く関わったと言うことは、仏教が世界各地に伝播したとき、それぞれの地域の固有の信仰と争うことなく、共存或いは融合することを可能にしたのではないでしょうか。
    このような形は、ユダヤ・キリスト・イスラムというセム的一神教の宗教では難しいのです。
    イスラムでは「コーラン」は決して翻訳してはならず、また翻訳したものは宗教的に無意味なものとされます。イスラム教が勢力を伸ばせば、それは同時に他の宗教の排除、消滅と言うことになります。
    キリスト教の聖書も中世においてはラテン語から英語、ドイツ語、フランス語などに訳されることはありませんでした。
    これらの宗教は同一の唯一絶対神を共有しておりますが、他の宗教の神の存在は原則として認めないので、しばしば宗教あるいは宗派間のすさまじいばかりの抗争を引き起こします。

  • 「あの世」ではなく、この世の日常生活に焦点
    釈尊の目は常に日常生活に向けられ、その関心はこの世における修行であったことは誤りないでしょう。
    これと比較すると、神の国への再生をひたすら願うキリスト教やイスラム教と、仏教(少なくとも釈尊の仏教)とは大いに異なることがわかります。また常に天下国家の在り方を論ずる儒教とも違います。

  • 仏教には宗教戦争は存在しない
    仏教でいう悪魔とは、心のなかに住む煩悩のことで、「仏教の修行を妨害するもの」という意味で用いる。キリスト教やイスラム教の「サタン」のような、神に対決する絶対悪を意味するものではない。
    したがって、仏教にはキリスト教やイスラム教のように殺害することを善とする宗教的敵対者が存在しない
    だから、仏教には宗教戦争が存在しない。

  • 仏教ほど女性が重視される宗教はない
    日本では、仏教は女性を差別したなどといわれますが、仏教ほど宗教の核心部分で女性が重視され、また活躍する世界宗教はありません。
    なぜなら仏教では「勝鬘経」のように女性が教えを説くなどということは珍しくないからです。このようなことは他に例がありません。

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