2005年5月14日土曜日

荒崎良徳 ~共感した名文・名文句~

曹洞宗僧侶ですが、金沢南無の会会長だけあって、宗派にこだわらないスタンスで、大乗仏教としての本質を、平易に、そしてぶれることなく的確に説いてくれます。

  • 修証義を読む 幸福(しあわせ)への道しるべ/図書刊行会
  • 「一億総餓鬼」日本は間近「現在、私たちの日本という国は、未曾有といわれる豊かさと繁栄の真っ只中にあります。しかし、それは物質面に限ってのことであり、精神面においてはどん底の貧困状態に陥っています。連日のように報道される醜悪極まりない事件の数々がそれを物語っています。(略)
    このまま放置しておけば、精神面の貧困は更に悪化して、取り返しのつかない「一億総餓鬼」の地獄国家に陥ってしまうことは明白です。」
  • 江戸思想管理以来、今も疑問を持たずに形だけを踏襲する、根本的保守人間・精神的奴隷ばかりで構成されるこの国家
    「江戸時代、徳川幕府は自らの権威・権力を維持するために、巧妙な思想管理を行いました。誕生・冠婚などの人生の節目の祝い事には日本古来の神道に従い、生きている間の生活規範としては儒教の教えに従い、そして、死と死後のことに関しては仏教の教えに従うように奨励したのです。」
  • 儒教=道徳先行、自分を問うことを怠った日本思想の流れ「江戸幕府が庶民に対して掲げた、生きるための指針としての儒教は、五倫・五常を説きます。(略)
    この五倫・五常を眺めてみますと、社会の秩序を保っていくためには、利用価値充分の徳目であることがわかります。為政者は、この徳目に従う者を善、反する者を悪と断定し、善を進め悪を懲らしめていくならば、社会の秩序は容易に保つことが出来ます。(略)
    しかし、この五倫・五常は
    道徳の範疇に属するものであり、自分を律することは出来ても、自分を問い続けることは出来ません。(略)
    江戸時代には倫理・道徳は栄えたけれども、宗教・仏教はほんとうのはたらきができなかった、ということになります。」
  • 偶然は世に存在しない「世の中にはこのような巡り会いを「偶然」の一言で片づけてしまう人がいます。そのような人は、まことに悲しむべき哀れな人だと思います。(略)
    仏教では、偶然ということを全面的に否定します。すべては縁によって起こり、縁によって生ずると考えます。一見、突然変異のように出現したり、または、無から有が生じたりしたように見えるものであっても、それが生ずるためには
    さまざまな縁がかかわり合っていると考えます。決して偶然ではないのです。」

  • 上面僧侶が充満する時代、三宝に帰すといっても「僧」を想像するのが難しいかも・・「真実の仏法に巡り会うことは極めて難しいことに違いありません。たとえ、寺で生れ、寺で育ったとしても、真実の仏法から遥かに掛け離れた生活をしている、いわば形だけの僧侶が充満している現代です。いかに生きるかということを真剣に考え、そしてそれを人に説き続けなければならないはずの僧侶、言い換えれば、真実の仏法を広く伝えなければならないはずの僧侶が、死者の冥福を祈ることだけに専念し、しかも、それを企業並みの商売感覚で行っている現代では、(略)遥かに困難かも知れません。」
  • 戒名について「仏教でも同じことで「受戒入位」して本当の仏教徒となった人には所謂「戒名」が授けられます。以上でおわかりのように、「戒名」は生きている内にいただくべき名前であり、具体的にいえば「仏教を信じて仏さまの教えに従って生きていこう」と決意したときにいただく名前なのです。従って、厳密に言えば、呼吸や心臓の動きが停止してから戴いたのでは、いささか手遅れだということです。」
  • 仏教に「自力」思想はない!、と曹洞宗僧侶が断言しておられます「仏教を生齧りした人は、「浄土真宗は他力の教えで、曹洞宗は自力の教えだ」などといいます。これは大きな間違いです。自力の教えなど仏教の何処を探してもありません総て「他力の教え」です。何故ならば、仏教のどの教えでも、先ず最初に「帰依三宝」が説かれているからです。つまり、仏法僧の三宝に心からおすがり(帰依)し、自分のすべてをおあずけした後に、坐禅などの修行に励むのです。」
  • 政治の貧困や責任を他人に押しつけて世を批判しても始まらない「今、私たち日本人に欠落しているものを数えれば限りがありませんが、中でも最も欠落しているものこそ、この「三聚浄戒」(摂律儀戒:すべての悪をおこなわない、摂善法戒:すべての善事を進んで行う、摂衆生戒:すべての人々のために尽す)に違いないと思います。(略)
    この三聚浄戒は、仏教徒であろうがなかろうが、人間であるならば何としても守らなければならない根本のルールであるはずです。それを忘れ去り、それをなおざりにしているところに現代の乱れが発生したと思うのです。(略)
    この憂うべき傾向に対して、いわゆる世の識者達はさまざまな提言をしています。しかし、どの提言を聞いても、ほとんど上辺だけの言葉の遊びに過ぎないように感じられます。(略)
    退廃した原因の追求に言及したときは、きまって政治の貧困などをとりあげ、責任者不在の形で処理しようとしてしまいがちです。情けないことです。人間が人間として生きていくための根本理念である「
    悪いことをするな! 善いことをしろ! 人々のために力を尽くせ! それを幼児の頃からたたき込め!」という簡単明瞭なことを簡単明瞭に発言される方はほとんどありません。

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