2015年12月25日金曜日

縁の不思議

「縁」の不思議を想います。

「縁」といえば、人と人とのご縁のような使い方をしますが、仏教では「因縁果」といって万物に当てはまる法則です。

世間では「因果」を強調するが故に「縁」の大事さが忘れられがちです。

仏教は宗教でもあり人生哲学でもあり科学の要素も持つと言われますが、仏教が明らかにした「縁」という真理に気づかされた時の衝撃は大きかった。

現実には「1つの原因→1つの結果」などというものはありません。
その結果に至る間に無数の「縁」があるという厳然たる事実があります。

自分に大きな影響を与えた物事や人について、振り返れば、様々な縁がないとそこにたどり着かなかったことがわかります。
次々と、どうしたものかと思えるような出来事が身辺に起こりますが、後に考えると、それを乗り越えるには、何か、自らの計らいでない力が働いていたことに気づかされます。

絶妙なタイミングで誰かが助けてくれていたり、複数の事象が物事の流れを別の方向に導いてくれたり…。

また、解決策を実行したとして、そのアクションに至ったのは、思いがけない閃きであったり、再現し得ない火事場の馬鹿力とも言えるものだったりすることがあります。

救ってくれる環境が現れ、閃きやアクションを内面から働きかけてくる何か…。

そこには自力とは対極の力学が働いていると思え、「縁」が支配していることを感じます。

自分はこうしてああして、こんな結果を得るんだ、と気合いを入れても、所詮自分を取り巻く無数の「縁」を先読みすることはできません。

また、自分の思い込みから導かれる目標や目的は、人生の大きな流れの中では、見当違いもあるでしょう。

結果が良いことなのかまずいことなのかだって、正確に言えば自分ではわかりません。その時の善し悪しの評価が、何ヶ月後、何年後には逆転することもあり得ます。

このことから思ったのは、流れに身を任せることが、最終的には最良の解決方法なのではないか、ということ。

一方で、縁が活きるかどうかは、良き縁を呼び込むような日々の生き方が大きいと思います。

加えてアンテナをしっかり張っておくことが重要と思い始めています。

アンテナが機能していないと始まらない縁があります。

結果はわからない。でも自分の直感・第六感を大事にして、「流れ」が何かを見極める観察力を磨いて、流れの中で動いてみることが良縁に結びつくことも多い気がします。

縁を信じて流れに身を任せれば、途方に暮れた状態が延々続くことはないし、事態がどんどん悪くなり続けて止まらないということもないのではないか。

縁は、偶然の巡り合わせとも言えることの積み重ねによって、計らいが及ばない成るべくして成った結果。

そう思うと今の自分の置かれる状況が感謝につながります。

そんな物思いに耽るクリスマスイヴの夜。

子どもが寝静まったところで、そろそろ親の一仕事かな(^^ )

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